[韓国旅行.韓国9大都市,5泊6日] 韓国9大都市巡り「ソウル・水原・瑞山・公州/扶余・全州・安東・慶州・釜山」5泊6日

 
韓国9大都市巡り「ソウル・水原・瑞山・公州/扶余・全州・安東・慶州・釜山」5泊6日

ツアー内容
韓国旅行を企画している方に韓国旅行で欠かせない9大都市「ソウル・水原・瑞山・公州/扶余・全州・安東・慶州・釜山」を巡るツアーをご紹介させて頂きます。ソウルでは朝鮮王朝歴代の国王と王妃を祭る祭礼空間の「宗廟」、朝鮮王朝の死後世界の空間で、500年以上もつながっている「朝鮮王陵」、朝鮮王朝の王室生活の文化空間で、朝鮮時代の造園芸術が集約されたすばらしい庭の秘苑がみられる「昌徳宮」、水原では朝鮮時代に平城と山城の長所をあわせて築きあげた「水原華城」、瑞山では百済の微笑で有名な「瑞山の磨崖三尊仏」、公州/扶余では環頭大刀・日本のコウヤマキの木棺が出土された「武寧王陵」、百済900年の古都の百済滅亡の悲しみと百済に残る石塔「定林寺址5層石塔」、日本最初の海外留学生善信尼たちの壁画がある「皐蘭寺」、泗泚都城を防御する核心施設の泗泚城「扶蘇山城」、七支刀,扶餘陵山里古墳から出土された百濟金銅龍鳳蓬萊山香爐が展示されている「国立扶余博物館」、全州では韓国料理の味の故郷全羅道のビンバ発祥の地である全州で料理と韓国の昔の伝統が味わえる「全州韓屋村」、安東では朝鮮時代の儒教の村「安東河回村」、代表的な書院の建築美が見られる「屏山書院」、現存している韓国一の古い木造建物「鳳停寺」、慶州では世界10大遺跡都市の一つで、千年古都慶州の新羅寺院建築の最高峰「仏国寺」、釈迦如来座像の傑作とされる「石窟庵」、新羅の文化遺産を見ることができる「国立慶州博物館」、釜山では一千年以上の歴史を持っている韓国5大寺刹の一つである[梵魚寺]、360度のパノラマで釜山市が一望でき、晴れた日は対馬まで見える「龍頭山公園・釜山タワー」をご案内させていただきます。
ソウル


宗廟
宗廟は,朝鮮時代の歴代王と王妃,及び追尊された王と王妃の位牌が祭られている霊廟で、敷地内には,宗廟の正殿をはじめ,王室の位牌のうち正殿に入れなかった位牌を祭る別廟である永寧殿,展祀庁,御粛室,香大庁,功臣堂,七祀堂などがあります。 1392年朝鮮王朝を建国した太祖李城桂が1394年、開成からソウルに都を移し景福宮を建てて、翌年の1395年、宮廷の左側にあたる東に宗廟を、右側である西に社稷檀(自然の神を祭るところ)を置かなければならないという儒教の礼法に従って建てました。儒教では人が死ぬと魂と魄に分かれ、見えない精神である魂は天に帰り、肉体である魄は地に帰ると考えられています。それで、魂を祀る祠堂と魄を祀る墓をそれぞれ造って先祖を崇拝しています。亡くなったご先祖の魂のこもった神主を作って祭礼を行い、子孫たちの精神的支えとしたのが「宗廟」なのです。宗廟は祭礼のための建物であるため、すべての建物が節制されたシンプルな技法から成り立っており、構成、  構造、装飾、色彩のいづれもシンプルな美しさを持てます正殿と永寧殿のある廟庭には樹木や草花を一切植えてない反面、囲いの周辺には厳選された特別な樹木を植えました。四方を欝蒼とした幽玄な森に作り上げ廟庭だけが空に続く空間としました。天からの精気を授かり、そこに霊的な力が満ち宿るようにしました。


朝鮮王陵(宣靖陵)
宣靖陵は、宣陵と靖陵の略称で、宣陵は朝鮮時代の9代目の王である成宗大王(1469∼1494)の墓で、靖陵は、11代目の王である中宗大王(506~1544)の墓です。ここにはその規模がほぼ等しい宣陵と靖陵、またこれらより少し小さめの王妃陵の3つの陵があります。朝鮮第9代成宗は世祖の孫で、德宗(推尊)の2番目の息子で世祖3年(1457)に生まれ、13歳 (1469)のとき即位しました。在位25年間、学問を推奨し、制度を整備するなど、色々な功績を残し、38歳(1494)で崩御されました。その王妃の貞顯王后は坡平尹氏の鈴原府院君の娘で、成宗11年(1480)に妃に封じ、中宗25年(1530)に69歳で崩御されました。 朝鮮第11代中宗は成宗の2番目の息子で、成宗19年(1488)にうまれ、1506年に即位し、在位 39年(1544)、59歳で崩御されました。6千坪の広い陵域に500年を誇る杉をはじめ、楢柏、いぶき等の木が鬱蒼とした森をつくっており、複雑な市内に位置していながらもゆったりとした雰囲気を感じられる場所。陵の周辺に立てられた石の彫刻品も一見の価値があるますよ。

面白い質問)
1.朝鮮時代の王様の平均寿命は?
2.どっちの封墳が王でどっちが王妃だろう?
3.王も職業病があった?
4.王のお名前は誰も呼ぶことができなかった?



昌徳宮
1405年に、朝鮮3代目国王・太宗が景福宮の離宮として建てた宮殿で、韓国唯一の宮の後園の秘苑あり、朝鮮王朝500年の5大宮の中で最も原形をとどめています。 離宮は王が息抜きできるところなので、建物の配置もそれを考えて建てました。景福宮は正殿、政治の場、生活の場が南北一列ですが、昌徳宮は東西に広がるように建てられ、 地形や自然環境を活かした後苑からのびてくる尾根筋に沿って作られました。壬辰倭乱(秀吉の朝鮮征伐)の時に景福宮と共に消失し、破壊、火災等のたびに修復を重ね現在にいたっています。壬辰の乱を免れた木造建築物の敦化門、正殿の仁政殿、大造殿(王妃の寝室)など、昌徳宮の敷地内に13棟、秘苑内に28棟の全41棟の建物が現存し、王宮の荘重さがよく保存されています。宮殿内の「楽善斎」は1847年後宮の処所として建てられ、1989年まで徳恵翁主と李方子女史が生活していたところで日本人観光客の興味を引いています。大造殿の奥には、地形や自然環境を活かした朝鮮時代の造園芸術の粋といわれる韓国の代表的な 建築物である秘苑があります。



水原


水原華城
朝鮮王朝第22代正祖大王が政治の争いに負け、木で作った米びつに閉じ込められ死んだ父の思悼世子に対する親孝行と、強力な王都正治を夢見て建設した親孝行の城郭であり、新都市でもあります。  この城は朝鮮時代最後に築かれたもの(1794年着工、1796年完工)で、文禄・慶長の役・丙子胡乱などの戦乱を通して明らかになった韓国の城の弱点を、学者達が科学的・実用的・効果的に補完し築きました。城の形態は八達山と市内に広がる平城と山城の長所をあわせ持ち、城の間を水原川が流れています。 1997年12月には城全体がユネスコ指定世界文化遺産として登録されています。 参考までに、城郭築城に費やされた資材について言いますと、石材が20万1,400塊・瓦53万枚・レンガ69万5,000枚・木材26,200株などがあり、動員された人員が延べ37万6,343人に達するほどの大工事でした。 また築城時は茶山丁若鏞によって考案された、多くの新素材が使われました。 たとえばそのひとつ挙重器の場合、40斤の力で25,000斤の重さのものを動かしたと言います。 城の形態は八達山と市内に広ガク平城と山城の長所をあわせ持ち、城の間を水原川が流れています。


面白い質問)
・お城の暗門はいつ使う門?
・水原華城の長さは?
・水原華城を築くのに37万6,343人が動員された?




瑞山


瑞山磨崖三尊仏
磨崖三尊仏は瑞山郊外の山の中腹の岸壁に彫られています。瑞山市は忠清南道・西北地域の西海岸近くにあり、当時扶余や公州から中国へ行く交易路の途中で百済の交通路にあたり、道行く人の安寧を願うために作られたと説明があります。韓国は木材が豊富ではないので花崗岩を加工した石塔が多く作られるようになり、その技術を駆使して摩崖仏も彫られました。この磨崖三尊仏は韓国最古の磨崖仏で、西暦 600年頃に彫られたものでいずれもほほえみを浮かべているので「百済の微笑」として有名です。中央には本尊仏である釈迦如来立像(高さ2.8m)を、左右には脇侍菩薩をおいて、左側には提和竭羅菩薩立像を右側には弥勒半跏思惟像を配置し、三尊仏が満面に慈愛を湛えた微笑みで、百済人の温和で浪漫的な気質が見られるようです。この三尊上は『法花経』に出る釈迦と弥勒、提和竭羅菩薩を表現したことに推定されます。1400年近く屋外にあり風雨にさらされてきたのに保存状態が良く仏像の表情が非常に豊かに微笑んでいます。仏教が百済に入って150年後、百済・聖明王の使節が大和・欽明天皇の時代(538年)に釈迦仏の金銅像一体と経綸を贈り、天皇に仏教信仰を勧めたと伝えられています。ここから海を渡り、瀬戸内海を経て、難波から大和川を遡って着いた場所が現在の奈良県桜井市金屋という場所です。日本の仏教がこの場所から広まっていったのです。この磨崖三尊仏が飛鳥仏のルーツといわれているそうです。左側の提和竭羅菩薩は日本にある仏様の顔とよく似ているようです。 ※三尊仏に対して説明が要ると思います。本尊仏である釈迦如来立像は釈迦牟尼を表し、現在を象徴する現在仏で、左側の提和竭羅菩薩は燃燈仏が成仏になる前の菩薩の時の名前で提和竭羅菩薩は釈迦よりずっと前に出現して善慧菩薩と言う名前で修行していた釈迦に将来成仏になれるだろうと言う授記を与えた菩薩で過去を象徴する過去仏です。右側の弥勒菩薩は現在仏である釈迦が兜率天の弥勒菩薩にこれから 56億7千万年後に成仏するだろうと言う授記を下げたので、未来を象徴する未来仏です。このように授記を取り交わした三人の成仏を授記三尊仏と言って過去,現在,未来を象徴しています。




公州/扶余


武寧王陵
1971年に発掘されたこの古墳は盗掘に遭うことなく保存されていたため、金製耳飾り、王冠、枕(頭、足)などが遺り、梁の武帝から521年に冊封されたときに贈られたと見られる環頭大刀が出土されたことで一躍有名になりました。木棺はコウヤマキで、日本から持ってきたもの、武寧王は、日本書紀によると日本の加唐島(かからじま)で生まれたためシマ王と名付けられたとされています。被葬者は出土した墓誌により百済第25代の武寧王(斯摩王)とその王妃であることが判明しました。 百済は温祚を始祖として660年に滅亡するまで31代の王を数えますが、第25代の王が武寧王(在位501~523年)で、百済の地位を確定し日本の大和政権と国交を結んだのも武寧王といわれています。 武寧王の墓からの出土品の90%は中国や日本からのものでした。墓の様式も中国式です。


定林寺址5層石塔
定林寺は都があったときの扶余の町の中心地にあった寺院で、6世紀中頃に創建されました。百済の滅亡とともに廃滅し、百済時代のものとしては、三尊仏立像や塑像仏が発見され、定林寺址博物館で見ることが出来ます。寺は塔と本堂が一直線になる百済時代の寺の形式で、日本で言う「四天王寺」形式です。定林寺址5層石塔と益山彌勒寺址石塔は百済に残る2つの石塔なので貴重でありも有名です。中央部が丸みをおびた木造建築のエンタシス技法が取り入れられている。塔の一層目には「大唐平百済国碑銘」と彫りつけられた文章がある。百済の滅亡を記念して唐側が彫ったもので、この文章があるために、「平済塔」とも呼ばれています。


皐蘭寺
落花岩の下に位置しており、百済王愛飲の皐蘭薬水と、寺裏の岩壁に自生する皐蘭草が有名です。扶蘇山の北、白馬江との崖の中腹に位置して、百済時代の尼寺の址と言われています。奈良時代に日本から二人の尼僧がこの寺に留学した伝承があり、寺の裏の壁画に描かれています。現在の寺は高麗時代の創建と考えられています。寺の裏の崖には、わき水が出ていて、百済最後の王である義慈王が愛飲し、王は、ここから汲んだ水であることを証明するために、容器の中に、ここでしかとれない羊歯の葉を一枚浮かべるように命じたと言います。それが皐蘭草です。寺の名前もそこから来ています。


百花亭
百済滅亡の際に落花岩の絶壁から多くの宮女が足下の白馬江に飛び込んだ悲劇が起きた場所です。そのとき、スカートが花が開くかのように広がったため、ここを落花岩と言って、その宮女を祀るために1929年に建てられたのが「百花亭」です。


国立扶余博物館
1993年8月に新築された国立扶余博物館は、11,000点以上の貴重な遺物が4つの展示室(先史室・歴史室・仏教美術室・企画展示室)と野外遺物展示場に分けられ展示されています。 これらの遺物は、輝かしい百済文化の粋を物語っていますが、特に1994年に陵山里古墳群近くの建物の跡地で発掘された「百済金銅大香り炉」が永久保存処理過程を経て展示され、国立扶余博物館を一層価値のある場所にしています。また、神仙境や桃園を理想とした百済の人々の心が表された山景紋摶、昌王銘石造舍利龕、金銅観音菩薩立像、七支刀,扶餘陵山里古墳から出土された百濟金銅龍鳳蓬萊山香爐などが展示されています。
面白い質問)
1.仏の国を守ってるのは?
2.韓国に仏教が入ったのは何時?
3.日本に仏教が入ったのは何時?
4.韓国のお坊さんは未だに肉は食べず、結婚もできない?


南宮池
宮殿の南にある池と言う意味で、最初の人工池です。 この池は、百済の武王の出生説話と関係があります。武王の父である法王の侍女であった女が、池の周辺で一人寂しく住んでいましたが、龍神と関係を持ち男の子を産みました。 その子が、新羅真平王の三番目の娘である善花公主と結婚した薯童であり、息子がいなかった法王の後を継いだのがこの武王、まさにこの薯童であったのです。 このような説話は、ここが別宮址であった宮南址が百済王と深い関係がある別宮の蓮池であったことが推測されます。 百済の庭園を研究する上で、重要な資料であると同時に、「日本書紀」に宮南池の造景技術が日本に渡り日本の造景の源流になったと伝えています。





全州


全羅道食べ物
全羅道は‘韓国一、料理が美味しい‘という評判の地域で、料理がお上手な全羅道女性の中でも全州女性の料理し方、お膳(床)揃い、作る方法などは誉められます。料理の面では嫁として一順位です。全羅道の中でもビビンバ発祥の地全州、ゴチュジャン(唐辛子味噌)の伝統を守っている淳昌の2箇所は特に有名な地域です。全羅道は土が肥えて豊かな穀食と各種海産物, 山菜など他地方に比べて産物が多くて食べ物の種類が多様であり, 食べ物に対する真心が格別でぜいたくな方です。モヤシ育て方と料理法が独特で、コチュジャン(唐辛子味噌), 酒の味がずば抜けます。味は他地方に比べて濃くないようにする方で, 辛味と刺激的な味が著しくて唐辛子粉・塩辛など味付けをたくさん使って保存性がすぐれるのが特徴です。代表的な全羅道食べ物としては全州ビビンバ, モヤシクッパ, 淳昌傳統ゴチュジャン(唐辛子味噌)、ゴマ粥, はまぐりおかゆなどがあります。


全州韓屋村
800棟もの集落がそのまま残って、韓国の昔の伝統が味わえる『全州韓屋村』


慶基殿
1410年、朝鮮王朝の始祖である、李成桂の肖像を奉安するため創建された建物で、中には王朝時代の高官が使った輿などが保存されています。


校洞茶園
韓国式家屋の中で伝統お茶を飲める伝統喫茶店。


イ・ジウォン
伝統韓紙工芸家キム・ヘミザ先生の自宅であり作業室でもあるイ・ジウォンは多様な韓紙工芸に出会うことができる。ほとんどの家財道具が韓紙作品で飾られており、韓紙工芸体験も可能です。



漢方文化センター
漢医学と漢方薬学を伝統生活文化と連結して、展示、教育、体験する国内唯一の漢方医学博物館です。こちらで四象体質鑑別・診断、漢方健康年齢測定、漢方医学治療原理、漢方バイオ商品体験などを通して、漢方医学の原理を学ぶことができます。水に漢方薬を混ぜ、足マッサージを受けて体質に合う漢方茶一杯を飲めば疲れた体と心がリラックスできます。
※四象体質:四象医学で人々を体質的な特性によって分類(太陽人・太陰人・少陽人・少陰人)した用語四象体質診断→体質別薬足湯→漢方茶試飲(9000ウォン)


ソルイェウォン
伝統生活文化教育舘ソル・イェウォンは生活礼儀、茶道礼儀など韓国の伝統生活を体験できる美しい空間です。 韓服(チマチョゴリ)を着てお辞儀の仕方から裁縫工芸、茶菓作り、茶礼、天然染色に至るまで多彩なプログラムがあって青少年と外国人の団体の訪問が絶えない所です。


伝統酒博物館
伝来酒の脈を探して、家ごとに酒をかもした家醸酒の伝統がものさびしく生きている空間で、韓国の伝統酒を展示、販売しながら、韓国固有の酒造方式を学び直接、醸したりもする体験型博物館です。 醸和堂で酒を醸す過程を見学し酒が熟す声と香りに酔ったら誡盈院では礼儀に従ってお酒の飲み方も学べます。


朝鮮最後の皇孫の家である承光齋。
皇室後援会が運営するテーマ生活館、承光斎は朝鮮王朝の最後の皇孫 李錫氏が滞在している所であり、朝鮮王朝の歴史を直接体験できる韓国式家屋生活体験施設だ。ここでは伝統宮中の韓定食と宮中茶礼(茶道)を体験することができる。 薪かまどのオンドル部屋で一晩泊まり、皇孫から直接、皇室のお話を聞けば、遠くにあった歴史上のお話に親近感が湧いてくるでしょう。



韓屋生活体験館
国楽鑑賞、伝統楽器の演奏会、国楽講習、茶礼などの行事が行われ、宿泊施設も完備されていて、普段味わえない韓国の文化が残る部屋で宿泊することもできます
※四象体質:四象医学で人々を体質的な特性によって分類(太陽人・太陰人・少陽人・少陰人)した用語四象体質診断→体質別薬足湯→漢方茶試飲(9000ウォン)


工芸品展示館
工芸館、ギャラリー、体験館、名匠工芸館、生活工芸店に構成されています。





安東


安東屏山書院
自然と調和した代表的な書院の建築美(道学、文章、徳行、書に名をとどろかせ、嶺南の儒生たちの崇敬をうけた大儒学者として知られる柳雲竜の学問と徳行を追慕するために1613年にこの地方の儒林が建てた書院です。

質問)
1.朝鮮時代の貴族のトイレ&一般庶民のトイレはどう違うか?
2.先輩は泊まる時に東西のどちらの部屋に泊まるか?
3.書院建築と住宅建築の違いは?



儒教の町安東河回村
三面が洛東江に囲まれており、村の名前を水が回って流れるということから河回と呼ばれるようになった とのこと。大儒学者として知られる柳雲竜(リュ・ウンヨン)や、文禄・慶長の役のとき領議政(現在の総理大臣)だった柳成竜(リュ・ソンヨン)を筆頭に、多くの偉人を輩出してきたため、朝鮮半島南部を代表する両班の村として位置づけられました。山と川に囲まれた地理的な条件から敵の侵入を一度も受けたことがなく、上流層の瓦家から民家の藁葺き家まで昔の姿をそのまま保存しています。


1.朝鮮時代の儒教について
2.朝鮮時代の身分について



エリザベス女王訪問記念館
イギリスのエリザベス2世女王が73歳(1999年4月21日)のお誕生日祝いで安東を訪問した記念で建てた記念館。


鳳停寺
鳳停寺は新羅時代の30代王((661-681))である文武王12 年(672年)に義湘大師(625-702)が 浮石寺から飛ばした紙の鳳がここに舞い降りて寺を建てたと伝えられています。安東で最も大きい寺刹である鳳停寺は現存している韓国一の古い木造建物の極樂殿があります。 安東鳳停寺極樂殿は切妻屋根、柱心包を有し、高麗時代の建物ですが、統一新羅時代の建築様式を内包しています。柱のエンタシス、栱包の単調な構造、内部架構の古格さがこの建物の特徴です。大雄殿の中心には釈迦如来、左には観世音菩薩、右には地蔵菩薩を配置し、寺には重要な建築物と高麗時代の代表的な石塔の三層石塔があり、万歳楼、寮舎などの建物、附属庵の霊山庵、知照庵があります。 また高麗の建物である極樂殿と朝鮮初期の建物である大雄殿、朝鮮中後期の古今堂と華厳講堂、無量海会、万歳樓などが並んでおり時代別に比較するのも面白いです。極樂殿 •大雄殿には大藏經を印刷するために刻んだ木版が保管されています。高麗時代には太祖王健と恭愍王が、最近ではイギリスの女王、エリザベス2世が千年続いた修行空間と韓国の美しい木造建築物を見に鳳停寺に立ち寄ったことで、世界から注目されました。


韓流スター リュ・シウォン
芸能人リュ・シウォンは柳成龍(当時の総理大臣)の13代孫にあたります。 リュ・シウォンの安東河回村の中にある実家の外見を見学できます。



韓流スター ペ・ヨンジュン
ペ・ヨンジュンが旅行本の撮影の為、一泊した北村宅(ブッチョンテク)は?
和敬堂(ファギョンダン)
ペ・ヨンジュンが旅行本の撮影の為、尋ねた600年前から安東の家々に伝わる伝統味噌作りは?
安東味噌村は?
(ヨン様の味噌亀写真撮影&600年前から安東の家々に伝わる伝統味噌作りの説明を聞く)


※安東豆知識
・別神グッ仮面劇とは?
  「河回 別神グッ仮面舞」は12世紀中頃から河回村(ハウェマウル)を中心に伝承されてきた仮面踊りで、村の守り神(別神)を喜ばせ、村の安全と豊作を祈っていました。仮面をかぶって踊る姿は滑稽で、内容は貴族である両班や儒学者の風刺、庶民の辛い生活、仏教批判などで、合わせて10の仮面 が登場します。
・安東の代表的なお土産は?安東焼酎、河回仮面






慶州


慶州仏国寺
佛国寺は吐含山南西麓に建立された寺刹で、751年金大城により着工し、金大城の死後も国家により事業が 引き継がれ、774年に堂宇を完成しました。仏国寺と石窟庵は、この二ヶ所を見ずには新羅芸術、または韓国文化を論じる事は出来ないと言われるほど昔から広く知られた優秀な文化財です。仏国寺は新羅人がこの世に造り出した仏の国で、3つの世界を仏国寺に造ろうとしました。3つの世界は1.悟りの世界、2.極楽の世界(苦しみがなく、誰もが安らぎを感じる極楽世界)、3.蓮華蔵世界(発願と修行によって清められた広大無辺の世界を意味する)です。


石窟庵
統一新羅時代の第35代景徳王10年(751)に仏国寺創建当時の宰相だった金大成によって起工し、彼の死後には国が引き続き完成させました。金大成は現世の父母のために仏国寺を建て、前世の父母のために石仏寺(石窟庵)を建てました。王族による国家的な造営で、当時は石窟寺と呼ばれていました。石窟庵は花崗岩を手入れして積み上げ、ドームの型に築いてから上に土を覆いかぶせ、洞窟のように建てた人工の石窟寺院です。朝鮮時代の仏教弾圧などにより、長い間、存在が忘れ去られていましたが、1909年に雨宿りをした郵便配達員が偶然に発見しました。石窟庵は湿気が多い自然の障害を乗り越えて、自体的に換気と湿度を調節できる能力を持っていましたが、日本の大規模な修復工事で建立当時の石像の配置が分からなくなったり、コンクリートで補修され、石窟内部に蒸気が篭るようになり、人為的な換気装置を設置して現在は室内の湿度が常にコントロールできるようにしました。特に、360枚あまりの板石で作られた円形の主室のドーム型天井は、8世紀半ばの新羅人の科学水準を物語る建築技法として知られています。


国立慶州博物館
新羅(BC57-AD935)の首都であった古都・慶州の文化遺産を見ることができる博物館として、 先史時代から朝鮮時代に到る遺物21万点あまりを所蔵しており、その中で3,000点余りを展示しています。先史時代の青銅器、銅鏡から5~6世紀の新羅焼、金銀装飾品、新羅瓦、8世紀頃の土器、南山の石仏など見どころは多く、特に古墳公園の天馬塚から出土した金冠と博物館の門の近くにある聖徳大王神鐘は必見です。

面白い質問)
1.徳大王神鐘は本当に子供を生贄として供えま(人身御供)した?



雁鴨池
雁鴨池は新羅第30代文武王が三国統一を達成した後の674年に造られた宮廷付属の庭園。新羅の宮廷である半月城の東に位置し、当時は月池と呼ばれましたが朝鮮時代以降雁鴨池と呼ばれました。 統一新羅時代の王族たちの宴会、会議場及び貴賓の接待場所として使われた所です。
豆知識)
慶州旅行で有名なお土産は?
1.校洞法酒
2.慶州皇南パン





釜山


梵魚寺
韓仏教曹渓宗第 14 校具本社である禅刹大本山金井山の梵魚寺は、一千年以上の歴史を持っている古刹の陜川海印寺、梁山通度寺、順天松広寺、九禮華嚴寺とともに韓国5大寺刹の一つです。1300年前の新羅時代(678年)に高僧の義湘大師により創建され、文禄の役で焼失し、1602年に再建されて今に至ります。金井山梵魚寺の由来は、金井山の尾根に井戸があって水の色が金色なので「金井」、金色の魚が五色の雲に乗って天からおりてきて「天の魚(梵魚)」という名前が付けられたそうです。 特に3つの仏像が並ぶ大雄殿は、朝鮮時代中期の仏教建築の傑作といわれます。西暦678年(新羅文武王18年)元曉大師を始め、多くの高僧達がここで修行しました。

面白い質問)
1.日本の京都の高山寺に義湘大師の一生を描いた絵巻物と善妙の像が伝えられている?
2.善妙の像は現在どこの博物館にある?
3.義湘大師日本に伝えた仏教思想は?



龍頭山公園・釜山タワー
龍頭山(ヨンドゥサン)公園は、海から陸地には這い上がる竜の頭に似ていることから、龍頭山と呼ばれています。 公園の中の釜山タワーは釜山を代表するタワーで、展望台の形は慶州の仏国寺多宝塔の上層部にあたるボゲを模して作られ、高さ120メートル、360度のパノラマでは釜山市が一望でき、晴れた日には対馬まで見ることができます。特にここから眺める夜景は見ごたえ十分。公園内には韓国の英雄、李舜臣将軍(李舜臣将軍は豊臣秀吉の軍を撃退した水軍の師として尊敬されています。)の銅像・花時計・子供科学展示館・生物展示館もありますので、釜山市民の憩いの場です。

面白い質問)
1.龍頭山(ヨンドゥサン)公園に日本の植民地時代の日本人居留地があった?
2.龍頭山(ヨンドゥサン)公園に日本の植民地時代の神社があった?





出発曜日

月(休み)/ 火(休み)/ 水 / 木(休み) / 金 / 土(休み) / 日
(お勧めの出発日は毎週水曜日です。)





1日目
日程 仁川・金浦入国(担当ガイドが到着出口にお迎いに伺います。)
空港宗廟→朝鮮王陵→宿泊ホテル


※予定時間:14:00~22:00
宿泊ホテル ソウルホテル(イビスアンバサダー明洞、パシフィック、サボイ、ベストウェスタンプレミアホテル国都、ロッテホテル蚕室、シェラトングランデウォーカーヒルの中で、個人指定は出来ません。)
食事 夕食(家庭食)
2日目
日程 ホテル→昌徳宮→水原華城→瑞山磨崖三尊仏宿泊ホテル

※予定時間:08:00~20:00
宿泊ホテル 公州(金江観光ホテル)
食事 朝食×、昼食(水原ガルビ)、夕食(家庭食)
3日目
日程 ホテル→陜川海印寺→梁山通度寺→宿泊ホテル
※予定時間:08:00~20:00
宿泊ホテル 全州韓屋村
食事 朝食×、昼食(ブルゴギサムバプ)、夕食(全州名物のビビムバプ)
4日目
日程 ホテル→全州韓屋村→鳳停寺安東河回村宿泊ホテル
※予定時間:08:00~20:00
宿泊ホテル 安東(安東河回村の韓屋でオンドル民宿)
食事 朝食×、昼食(安東名物の鶏煮込み)、夕食(安東名物の鯖焼き定食)
5日目
日程 ホテル→山書院仏国寺石窟庵国立慶州博物館(月曜は休館のため雁鴨池案内)宿泊ホテル


※予定時間:08:00~20:00
宿泊ホテル 慶州


所要時間
5泊6日
交通手段
バス
出発日時
毎週「水 金 日」
主催会社
李’sファミリー(株)
集合場所
仁川・金浦空港お迎え

一般ツアー
 3名以下 199,000 円 199,000 円
 4名以上 189,000 円 189,000 円
 7名以上 179,000 円 179,000 円
専用車貸切ツアー
0 円
0 円
0 円
0 円

人数
大人 男 大人 女
小学生 幼兒
一般ツアー
* 専用車貸切ツアーご希望者はチェックして下さい。
合計金額



     
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