水原華城朝鮮王朝第22代正祖大王が政治の争いに負け、木で作った米びつに閉じ込められ死んだ父の思悼世子に対する親孝行と、強力な王都正治を夢見て建設した親孝行の城郭であり、新都市でもあります。 この城は朝鮮時代最後に築かれたもの(1794年着工、1796年完工)で、文禄・慶長の役・丙子胡乱などの戦乱を通して明らかになった韓国の城の弱点を、学者達が科学的・実用的・効果的に補完し築きました。城の形態は八達山と市内に広がる平城と山城の長所をあわせ持ち、城の間を水原川が流れています。 1997年12月には城全体がユネスコ指定世界文化遺産として登録されています。 参考までに、城郭築城に費やされた資材について言いますと、石材が20万1,400塊・瓦53万枚・レンガ69万5,000枚・木材26,200株などがあり、動員された人員が延べ37万6,343人に達するほどの大工事でした。 また築城時は茶山丁若鏞によって考案された、多くの新素材が使われました。 たとえばそのひとつ挙重器の場合、40斤の力で25,000斤の重さのものを動かしたと言います。 城の形態は八達山と市内に広ガク平城と山城の長所をあわせ持ち、城の間を水原川が流れています。 城郭全体の長さは約5.7kmで、主要な施設物として4大門を始めとし、将台が2ヶ所・水門が 2ヶ所・砲楼が5・舗楼が5・閣楼が5・暗門が4・空心が3・雉城など、全部で48ヶ所ありましたが、部分的に破壊されたものは75年から5年に渡って復元補修しました。華城は都を守る城郭としての機能を備えるとともに、城郭の建造物には芸術的な美しさがあります。日本の城は戦いに重きをおいた山城、平地に堀をめぐらせ天守閣をそびえさせた城が多く、華城は人々が住む街全体を守るために城壁で取り囲む形式で、城壁の宮殿に王が住み、一般の人々も生活し、日用品や食料を売る市場や食堂などの商店街もあります。 1997年12月には城全体がユネスコ指定世界文化遺産として登録され、名実共に世界の文化遺産として管理されています。華城と関連して更につけ加えるなら、築城についてのすべての記録「華城城役儀軌」が、本と して残っていて、その他、現在奎章閣に保管されているこの本の中には、設計・動員された 人の名前・資材の数量・人件費などが詳しく記録されています。 ※時間的に余裕ある方は約4時間程度散歩兼ねて一周することも良く、時間がない方は下記のお勧めの所を中心に観光する事も良いと思います。「八達門、長安門、華西門、華虹門、西暗門、西北空心敦、東北空心敦、東北角楼、西北角樓、西将台、西弩台、西舗樓、烽敦」!
韓国民族村韓国民俗村は、1976年から敷地と施設物の拡張及び補完工事を行って、約22万坪(726、962㎡)の敷地の上に282棟の各種建築物と付帯施設を備え、約400人の役職員が勤めている世界的なレベルの屋外博物館として、また国際的に知られた観光名所として成長・発展しました。 朝鮮時代の人々の風習や生活が生き生きと再現され、村全体が生きた博物館となっています。また、農楽踊り・綱渡り・板飛び・伝統結婚式などの公演が毎日行われます。こちらを訪ねる方は韓国一のドンドン酒(濁酒)とパジョンと漢方薬のお茶を楽しんでください。
面白い質問)・朝鮮時代は生まれてから死ぬまで一回も髪を切ってない?
・朝鮮時代は家が火事になったら、一番始めに持っていく物は金でなく本だった?
・朝鮮時代は10歳の男が結婚した?
かるそうです。
華城行宮「行宮」とは王様が地方に行幸する際に臨時に宿泊した所や、戦乱、休養、陵園参拜などのために 地方に別途の宮殿を準備した臨時の住まいのことで、その用途により大きく3種類に分けられます。戦争のような非常時の危急な事態を避けて国事を続けるために準備された行宮としては江華行 宮、義州行宮、南漢山城内の廣州府行宮などがあり、温陽行宮は休養を目的に設置された行宮であり、朝鮮世宗以来の歴代王が多く訪問した所です。 そして、王が地方の陵園に参拜する際に宿泊した行宮がまさに『華城行宮』。正祖は父、思悼世子の墓所を顯隆園に改葬し、水原新都市を建設して城郭を築造しました。 1790年から1795年(正祖14~19年)までに、ソウルから水原に至る重要経由地に果川行宮、安養行宮、肆覲站行宮、始興行宮、安山行宮、華城行宮などを設置しました。 その中でも華城行宮は規模や機能面から最高とされる代表的な行宮であると言えます。昔ながらの王宮が再現されており、最近では「チャングムの誓い」などドラマ・映画の撮影地としても人気の場所です。
利川陶芸村利川周辺は、李朝時代までは陶芸の里として栄えていた場所です。なぜか李朝以降は近年まで陶芸が途絶えていたそう…韓国の謎?とも言われています。利川はもともと、良質の水と焼き物に適した土、さらに登り窯で使う木材も豊富だったことから、陶芸家たちに注目されたそうで、朝鮮戦争後1964年頃に、数人の陶芸家が移り住み再び陶芸の歴史が始まりました。現在では新屯面陶芸村民族陶芸村という2つの陶芸村ができ、合わせて20を越える窯元が点在しています。市内で買うよりも窯場で直接買われたほうが品揃えもよく、お安く買うことが出来ると 思います。