[ソウル旅行,仁川歴史,日帰り] 日・韓歴史現場仁川終日観光

日・韓歴史現場仁川終日観光

ツアー内容
韓国旅行を企画中の方に今回はソウル近郊にある仁川旅行を紹介させていただきます。韓国最初の灯台で日本が露日戦争に備えた「八尾島灯台」、仁川の下町生活が見られる「水道局山ダルドンネ(下町)博物館」、日韓歴史関係建築物「旧第一国立銀行仁川出張所、旧仁川郵便局、旧第十八国立銀行仁川支店、旧第五十八国立銀行仁川支店、旧濟物浦俱樂部、虹霓門、日本郵船株式会社仁川支店」、韓国最初の聖公会教会「仁川內洞聖公会聖堂」、韓国にあるカトリック聖堂の中でも最も古い西洋式近代建築物「仁川畓洞聖堂」、仁川上陸作戦を成功させたマッカーサー将軍の功績を記念する「自由公園」、仁川の中華街「チャイナタウン(清日警戒地・共和春・三国志壁画通り)」、アメリカ監理教会の女宣教師たちの宿所「仁川基督敎社会福祉館」、朝鮮人最初の導船士の家「劉恒烈住宅」など仁川旅行のベストを企画しましたので、宜しくお願いします。

八尾島灯台(遊覧船)
韓国最初の灯台がある八尾島は仁川港から南側へ15.7km離れた小さな島で、沙洲によって繋がれた二つの島がまるで八の文字のように見えて八尾島と呼ばれました。仁川港進入航路の町角に位置しており、入・出港の船舶の安全運航のための指標の役割をしました。日本と朝鮮王朝が締結した"通商章程"によって朝鮮王朝は1903年6月高さ7.9m、直径 2mの八尾島の灯台を作りました。1903年6月1日に韓国で最初に灯台の光を照らした八尾島灯台は日帝強占期には日本が露日戦争に備えるために利用され、韓国戦争当時にはマッカーサー将軍の仁川上陸作戦を成功的に導くのに決定的な役割を果たしました。 現在の八尾島燈台は燈搭(高さ26m)、100周年記念象徴造形物(千年の光)、衛星航法補正システム(DGPS)基準局などの施設と先端装備を取り揃えて 2003年 12月に新しい姿で変身しました。燈明機の明りは国内技術で開発されたプリズムレンズ大型回転式燈明機で 50kmまで照らして、10秒に一度ずつきらめきます。重要軍事施設で使われ、一般人立ち入り禁止でしたが、2009年1月に八尾島が105年ぶりに一般開放されました。2009年9月頃には世界6位の長さ(21.270Km)の仁川大橋が開通予定で、八尾島を遊覧船で運行中に見学できます。


水道局山ダルドンネ(下町)博物館
元々の名前は万寿山または松林山で、周辺一帯が埋め立てされて海が地に変わって工場が建てられ、人々が寄り集まりましたが、以前にはやや小さい丘は海辺の静かな松森でした。松林山は松が多くて付けられた名前で松を切り取って丘に定着して暮す人々が増えながら貧困層地域の歴史は始まります。松林山が水道局山で山の名前が変わるようになったのは近代開港期の仁川の歴史と関連が深く、松林山に水道水を盛っておく配水池を設置しながら生じました。仁川は以前から井が少なく、水質も悪くて開港以後に増加した人口と船舶で水の確保が大きい悩みでした。日帝統監府の強圧によって韓国政府は 1906年、支部に水道局を新設して仁川と鷺梁津を引き継ぐ上水道工事に取り掛かかりました。日帝強制占領期の韓国人たちは日本人に商圏を剥奪されて中国人には働き口を失って仁川東区松硯洞・松林洞のような新設村に尋ねて来ました。さかになった小林は貧しい人々のねぐらに変貌し、引き続き朝鮮戦争(6.25)で故郷を失った避難民たちが多く集まりました。1960-70年代は産業化とともに全羅・忠青地域の人々が働き口を求めて都市に集まって来ました。山頂まで徐徐に小さな家たちが立ちこみながら遂に181,500㎡(5万5千余り坪)規模の水道局山の坂に3千余家具が住むようになり、その結果水道局山は仁川の典型的な貧困層地域になりました。



日韓歴史関係建築


旧仁川第一銀行仁川支店(旧第一国立銀行仁川出張所)
1883年11月日本の第一国立銀行釜山支店の仁川出張所として設立された日本初の商業銀行で、民間の銀行です。1899年日本人の新家孝正が設計し、建築材料も日本から持って来て作りました。 1909年中央銀行である韓国銀行が創立されて、第一銀行仁川支店と改称し、のちに朝鮮銀行に譲渡されました。第一銀行は→第一勧業→みずほと名を変えています。後期ルネッサンス様式です。



旧仁川郵便局
1876年に釜山浦の領事館内に郵政総局が設立され、1883年に郵政総局仁川分局が開院されました。ソウルより先に郵便業務が開始されたことにより、仁川郵便局は事実上韓国の郵政業務の起源ともいえます。現在の仁川郵便局は1923年に新築され、西洋と東洋の建築様式が絶妙に調和されています。韓国における郵便の始まりながら、今でも昔と同じ用途で使われている建物です。


旧日本18銀行仁川支店(旧第十八国立銀行仁川支店)
旧・第十八国立銀行(現・十八銀行)は、長崎市に本社を置く銀行です。仁川支店は、1877年(明治10年)に同行初の海外支店として設立されました。韓国金融界を支配する目的で建てられた銀行です。 1936年(昭和11年)、釜山、京城とともに朝鮮殖産銀行に譲渡され、韓国興業銀行で使われました。


旧日本58銀行仁川支店(旧第五十八国立銀行仁川支店)
旧58銀行は日本大阪に本店を置く58銀行の仁川支店で、1892年設置されました。その後第3銀行など僅少銀行と合併し安田銀行に変った。1939年新築されたこの建物は光復後に朝興銀行仁川支店、大韓赤十字社京畿道支社などに使用されたりもした。現在は中区飲食業組合が入居し、フレンチルネッサンス様式の2階建てで初期洋式建築の特徴をよく表しており、外2階バルコニー形式が異国風の雰囲気を醸し出しています。旧・五十八銀の前身は旧・富士銀行(現・みずほ銀)となります。


旧濟物浦俱樂部(仁川文化院)
旧58銀行は日本大阪に本店を置く58銀行の仁川支店で、1892年設置されました。その後第3銀行など僅少銀行と合併し安田銀行に変った。1939年新築されたこの建物は光復後に朝興銀行仁川支店、大韓赤十字社京畿道支社などに使用されたりもした。現在は中区飲食業組合が入居し、フレンチルネッサンス様式の2階建てで初期洋式建築の特徴をよく表しており、外2階バルコニー形式が異国風の雰囲気を醸し出しています。旧・五十八銀の前身は旧・富士銀行(現・みずほ銀)となります。


虹霓門
上頭部が虹の形をした門と言う意味の虹霓門は、仁川市内南北間の交通の不便を解消するという名分で日本工兵隊が1906年に着工、1908年に竣工した。花崗岩と煙瓦を混用したアーチ構造で、比較的原型がよく保全されている。


日本郵船株式会社仁川支店
1933年以前に建立されたことに推定される初期業務用建築物で三角形のペデ−メントを設置した正面を中心に左右対称形の形式を取っています。建立当時の建材, 工法, ディテールなどをよく見せてくれていて郷土史蹟,な建築造形的価値があります。




仁川內洞聖公会聖堂
英国の国教である聖公会が韓国に第一歩を踏み入れたは1890年9月にコルペ主教は仁川に韓国最初の聖公会教会である聖ミカエル教会を設立し宣教活動に入りました。こ内洞教会は翌年の10月に仁川最初の西欧式病院である聖ルカ病院を建てましたが、韓国戦争の時に焼失し、現在の建物は1956年6月に竣工されたものです。



仁川畓洞聖堂
フランスパリ外邦宣教会所属ビルレム神父によって建設され、1897年ゴシック様式の平屋建てが沓洞の丘の上に設立された。300坪規模のロマネスク様式レンガ造り建物で、韓国にあるカトリック聖堂の中でも最も古い西洋式近代建築物の1つです。


自由公園
仁川港の開港5周年を記念して1888年にできた韓国初の西欧風な公園です。高台に建設された庭園なので、 とても眺めがよくて、市街と仁川港、月尾島など西海を一望でき、落ちついた雰囲気を醸し出していいます。当初は「万国公園」と呼ば、日帝は一時期ここを「西公園」と呼んだが、仁川上陸作戦を成功させたマッカーサー将軍の功績を記念する為に、彼の銅像を建ててから公園の名前も自由公園に変わりました。今は市街地の一部や港湾施設、そして西海の海を一目に眺めることができる所で、市民たちの愛を一身に受けている自由公園では、毎年4月になると桜が満開になって万 公園祭りが開かれる。朝鮮戦争初期、ソ連の戦車で武装した北朝鮮が攻め込んできて、韓国はソウル陥落、釜山の周りを残して占領されてしまいます。日本にいたマッカーサーが米国の海兵第5連隊第3大隊が艦砲射撃や空中砲撃の援護を受けながら仁川の月尾島に上陸しました。れました。


チャイナタウン
仁川の中華街には山東省出身の華僑が多く集まっています。祖国の政治的分断や朝鮮戦争、李承晩政権による迫害的な政策などによって人口が流出し、長らく活気を失っていたが、近年は観光地・チャイナタウンとしてスポットが当てられている。


仁川基督敎社会福祉館
19世紀末、アメリカ監理教会が派遣した女宣教師たちの宿所で使った建物です。戸障子は朝鮮時代書院やお寺の僧房などで使った方法で、用の字模様になって内部は木造、2階の横軸に地下で出入りするように造っている施設です。比較的原型をよく保存している近世ルネサンス様式の建物です。


虹霓門
上頭部が虹の形をした門と言う意味の虹霓門は、仁川市内南北間の交通の不便を解消するという名分で日本工兵隊が1906年に着工、1908年に竣工した。花崗岩と煙瓦を混用したアーチ構造で、比較的原型がよく保全されている。


劉恒烈住宅
日帝強制占領期間に朝鮮人最初の導船士である劉恒烈が1930年代初に建てた住宅で劉恒烈は 1926年から朝鮮郵船会社に入社して栄江丸,平安丸などの船長で10余年間を仁川-青島-上海の間を運航し、韓国の最初で仁川港導船士資格証を取得した後1970年まで導船士として活躍しました。 この建物は当時韓国で建立された洋式住宅の建築的特性をよく見せてくれます。



出発曜日

月(休み) / 火 / 水 / 木 / 金 / 土 / 日


1日目 日程 ソウル市内(宿泊ホテルへお迎え)出発→八尾島灯台(遊覧船)→水道局山ダルドンネ(下町)博物館→日韓歴史関係建築(旧第一国立銀行仁川出張所→旧仁川郵便局→旧第十八国立銀行仁川支店→旧第五十八国立銀行仁川支店→旧濟物浦俱樂部→虹霓門→日本郵船株式会社仁川支店)→仁川內洞聖公会聖堂→仁川畓洞聖堂→自由公園→チャイナタウン(清日警戒地・共和春・三国志壁画通り)→仁川基督敎社会福祉館→劉恒烈住宅→ソウル市内(宿泊ホテル解散)
* 予定時間:07:00~18:00
旅行代金詳細・オプション詳細
ツアー料金に含まれるもの:
往復バス料金、日本語ガイド、観光地入場料、昼食1回、遊覧船往復料。
注意事項:
1.ツアー料金: 7名以上¥16,500、4~6名¥17,500、1~3名\18,500
2.旅行代金 1人当り料金(大人・子供同額)
3.本ツアーは最少人数3名で、最終2名で出発になった場合は一人当たり¥3,000の追加料金がかかります。
4.水道局山ダルドンネ(下町)博物館は月曜日休館なので、ご参考の上にお申し込みください。
5.本ツアーは他のお客様との混乗車ツアーとなります。
6.ツアー当日の予約・交通状況によりコース順が多少異なる場合もございます。
7.ツアー中の天災地変、個人的事故、紛失等につきましては弊社では責任を負いかねます。
8.歩きやすい靴でご参加ください。
キャンセル・返金について
ツアーキャンセル規定:
1.一週間前よりキャンセルチャージがかかります。(代金の30%)
2.前日キャンセルはツアー代金の50%
3.前日午後5時以降のキャンセル&無連絡はツアー代金の100%をお支払い頂きます。


所要時間
07:00~18:00
交通手段
バス
出発日時
7時「火 水 木 金 土 日」
主催会社
李’sファミリー(株)
集合場所
宿泊ホテル

一般ツアー
 3名以下 18,500 円 18,500 円
 4名以上 17,500 円 17,500 円
 7名以上 16,500 円 16,500 円
専用車貸切ツアー
0 円
0 円
0 円
0 円

人数
大人 男 大人 女
小学生 幼兒
一般ツアー
* 専用車貸切ツアーご希望者はチェックして下さい。
合計金額



     
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