[ソウル旅行,江華島歴史,日帰り] 雲揚号事件の日・韓歴史の本場江華島終日観光

 
雲揚号事件の日・韓歴史の本場江華島終日観光

ツアー内容
韓国旅行を企画中の方に今回はソウル近郊にある江華島をご紹介します。日韓歴史の本場である雲揚号事件が起こった「草芝鎭」、日韓修好條約(江華島条約)を締結した「錬武堂跡地」、世界文化遺産の韓国最大の北方式支石墓「江華支石墓」、韓国の三大観音聖地の一つである「普門寺」、韓国最初の聖堂で、現存する韓国最古の木造聖堂「聖公會江華聖堂」、裸婦像がもっと面白い「傳燈寺」、フランス・米国の艦隊と戦った激戦地「廣城堡」、江華島の文化遺産をひと目で見ることができる「江華歴史館」など江華島旅行のベストを企画しましたので、宜しくお願いします。
江華島条約について
江華島は漢江の河口の左岸の島で朝鮮時代の首都漢城より90km離れています。1875年9月19日(明治8・高宗12),日本の軍艦雲揚号が江華島付近で朝鮮軍の警告を無視して領海侵入しました。飲料水補給の口実を設けてボートをおろし漢江の運河を遡行しようとしたとき,江華島草芝鎮の砲台から砲撃を受けました。日本側は直ちに艦砲射撃で応じ江華島草芝鎭を攻撃して壊し、翌日には江華島の南にある済物浦対岸の永宗島永宗鎮を砲撃し,上陸して民家を焼き払い,軍民数十名を殺し,38門の砲を奪い,官庁を燃やしました。日本は朝鮮の軍隊が日本の船を先に攻撃したといって責任を取ることを要求し、軍艦輸送船6隻を江華島に派遣して脅迫しました。日本はこれを契機に翌年の1876年(明治9)2月3日に江華府で朝鮮と日本は条約を結びました。江華島条約は朝鮮が最初に結んだ近代的な条約で、条約の内容は朝鮮が釜山を含む3港を開き日本と貿易をする。日本側は朝鮮の海岸線を測量する権利、朝鮮に入る日本人は日本人領事が裁判する権利など、日本に有利で朝鮮に不利な条約でした。江華島は、江華島事件の他にも、元軍、丙寅の役(丙寅洋擾)・辛未の役(辛未洋擾)のフランス軍やアメリカ軍が襲来しさらに朝鮮戦争の激戦地になるなど、外国軍に侵略された場所です。


普門寺
韓国の三大観音聖地(洛山寺紅蓮庵, 江華普門寺、南海菩提庵)の中の一つである普門寺は善徳女王4年(635年)に金剛山での修行を終えて帰ってきた懷正大師が創建し、山の形がインド南端の海岸にある観音が住む八角形の山の普陀落山に似ていたので、山は洛伽山、寺は普門寺と名付けました。洛伽は観音菩薩が住む山の名前で、普門は衆生を救うために33の姿に変化する観世音菩薩を表す言葉です。お寺を創建して14年後に、新羅時代にある漁夫が釣りをしていた時、網にかかった仏像と羅漢像22具を夢の通りにお寺の右側にある石窟に奉安したところ、金持ちになったという伝説が伝えられています。それからは石窟に祈祷すれば奇跡が成就されるので、多くの信徒達が此処を訪れています。天然の洞窟を用い、入り口には三個の虹型の門を持つ洞窟寺院で、洞窟内は厨子を設置し、釈迦牟尼仏をはじめとする弥勒、菩薩と羅漢像が安置されています。大雄殿ぬは脇侍仏で観世音菩薩像を奉安し、大雄殿裏の422階段の上の岩壁には大きな磨崖観音坐像を奉安しています。



草芝鎭(チョジジン)
海上から侵入する外賊を防止するため、朝鮮 高宗7年 (1656)に江華留守の洪重普が初めて設置しまいあた。高宗3年(1866)10月天主教弾圧を口実に侵入したフランス極東艦隊と戦い(丙寅洋擾)、高宗8年(1871)4月に通商を強要し侵入した米国ロージャスアジア艦隊に陷落された事もあります。高宗12年(1875)8月に侵攻した日本軍艦雲揚号と草芝鎭砲台と激戦を展開した所で、砲弾を受けた松2株と城壁が保存されており、当時の熾烈だった状況を察することができます。この草芝鎭は皆崩れた墩臺(高台)の跡地と城の基礎だけ残っていたことを1973年草芝墩(鎭より小さな部隊)だけ修復しました。草芝鎭には 3ヶ所の砲座があって銃座が100余所あり、朝鮮末の大砲 1門が砲閣(大砲を保護するために設置した小屋)の中に展示されています。


錬武堂跡地
錬武堂跡地は江華府の軍事を訓練させる場所で、1876年高宗 13年 2月 26日日韓修好條約(江華島条約)を締結した所です。江華島条約により、釜山・仁川・元山の3港を日本に開港によって西洋文物を受け入れるようになりましたが、実際は日本の政治的・経済的・軍事的な朝鮮侵略が始まりました。会談の当日に両国代表たちが会談を始めようとした時に甲串鎭から大砲の音が聞こえ、会談に参加したシンドンが問いました。"会談中に何の大砲射撃です?"、"今日を祝うためにうつのです." 朝鮮使臣たちはそれ以上抗議することができなかったそうです。大砲の音は朝鮮の人たちにとっては日本の脅かしの音に聞こえたみたいです。



江華支石墓
江華島にはこの支石墓以外にも松海面と河帖面一帯に高麗山北側斜面稜線より、平地にいたるまで20~30予基の青銅器時代の支石墓が分布されていいます。富近里の支石墓は韓国最大の北方式支石墓の高さは 260cm、石墓(テーブルのような形)で、蓋石の長さが710cm、幅550cmで2個の支石が支えています。京幾地方を含めて中部地方では珍しい巨大なテーブル式(卓子式)として,一般的に北方式支石墓の構造は4枚の支え石で直四角形石室を構築し、その上に蓋石(ふた石)を上げておく方式を取るのに, この支石墓には石室の短い支え石2個はなくなっています。これは過去に破壊されて消えたことにで推測し、長い軸は南北方向に向いています。中部地方には江華、仁川、水原を結ぶ北方式支石墓の分布地域がある。これは江華の檀君伝説を同じく先史時代の遺磧として重要なしりぃうです。である。



江華聖公會江華聖堂
現存する韓国最古の木造聖堂建築で、1900年11月15日に聖公会の韓国教区の初代主教であったコ・ヨハン(ジョン・コルフェ)主教が韓国最初の聖堂を建てました。カトリックやプロテスタントには見られない伝統的な韓国様式で建てました。配置や構造はローマのバジリカ様式を借用しつつも、建築技法や姿勢は純粋な韓国の伝統方式の寺院の雰囲気を感じます。これは、カトリック、プロテスタントを含むキリスト教の韓国宣教史において、他に例を見ないものとして聖公会の初代宣教師たちの朝鮮時代の韓国式家屋との調和と一致を狙う土着化精神をよく示し、十字架などに三太極の模様や蓮の花などをあしらったことにも宗教観の和解(仏教の寺院雰囲気)と対話を志向しようとした神学的意図を見出しています。



廣城堡(クァンソンボ)
江華海峡を守る重要な要塞で江華12鎭堡の一つで、高麗時代にモンゴルの侵略に対抗するために江華島に遷都した後に石と土を交ぜて海峡に沿って長く積んだ城です。朝鮮時代光海君の時ただれられたところをまた直し、1658年に江華留守が廣城堡を設置。その後1679に完全な石城として逐造しました。高宗 3年(1866)フランスの極東艦隊と熾烈な激戦(丙寅洋擾)を行い、高宗8年(1871) 開港を要求して江華海峡を武力侵略した米国のアジア艦隊と戦った一番熾烈だった激戦地です。この戦闘で朝鮮軍は劣勢な武器に奮戦している途中虜になるのを拒否, 何名の重傷者を除いて全員が殉国しました。この時破壊された門樓と高台を 1976年に修復し、当時戦死した無名勇士たちの墓と魚在淵将軍の戦跡碑などを補修・整備しました。



傳燈寺
檀君の三人の息子が建てたという三郞城の中に位置したこのお寺は、高句麗小獸林王11年 (西暦381)に高僧阿道和尚が築造したと伝えられています。創建当時には真宗寺と呼ばれました。現在の傳燈寺という名稱は、高麗時代の忠烈(チュンヨル)王(1282年)の王妃である貞和宮主(チョンファクンジュ)王氏が、仏前に玉で作った玉燈を捧げてから、その後は傳燈寺と呼ばれました。大雄殿のあちこちには丙寅洋擾(ビョンインヤンヨウ・キリスト教虐殺と彈壓に對抗して、フランス艦隊が侵入してきた事件)当時、フランス軍と戦った兵士たちが武運(戦闘の運)を願って自分たちの名前を書き残した跡が残っており、観光客の目を引いています。伝燈寺の代表的な建物である大雄宝殿は朝鮮中期の建築様式を見せてくれる貴重な文化遺産で、伝燈寺大雄宝殿が世の中にもっと有名になったことは大雄宝殿の屋根を支えている裸婦像のためです。


江華歴史館
江華郡は先史時代の遺物である支石墓をはじめ、世界文化遺産に登録された高麗時代の八萬大藏經、及び金属活字、高麗磁器など煌びやかな文化の花を咲かせた高麗の遺跡地です。以後朝鮮時代の丁卯胡亂と丙子胡乱の時、仁祖王が避難した首都でもあり、朝鮮末期には 大院君の鎖国政治と天主教の弾圧によって引き起こしたフランス艦隊の侵入事件の丙寅洋擾、そして辛未洋擾その後、雲揚号事件により江華条約締結など風雲を経験した歴史の産室として、江華島全域に大小14個に及ぶお寺と107点の文化財を大切に保管した歴史の本場です。 国難を克服した強い民族の底力と賢い文化を継承させ、民族抗争の偉業を宣揚し護国精神の育成のため、1984年から5ケ年事業で16億 7千万ウォンを投入し、1988年9月14日江華歴史館を開館しました。 歴史の古都であり開国の聖域である江華島の文化遺産を、ひと目で見ることができる所です。展示館の1階には先史歴史室が展示されており、2階には、国難克服室があります。



出発曜日

月 / 火 / 水 / 木 / 金 / 土 / 日


1日目 ソウル市内(宿泊ホテルへお迎え)出発→①草芝鎭→②江華支石墓→③普門寺又は傳燈寺→
④廣城堡→⑤江華歴史館→ソウル市内又は宿泊ホテル解散
*予定時間:07:00~18:00
ツアー料金に含まれるもの:車、日本語ガイド、観光地入場料、駐車料金 昼食は含まれております。
ツアー料金に含まれてないもの:お客様の食事代
当日相談をして地元の美味しい所にご案内いたします。    

注意事項:
1.ツアー料金: 4名以上10,000、3名12,000  2名¥16,000
2.旅行代金 1人当り料金(大人・子供同額)
3.本ツアーは他のお客様との混乗車ツアーとなります。(専用車希望の時に3000円追加)
4.ツアー当日の予約・交通状況によりコース順が多少異なる場合もございます。
5.ツアー中の天災地変、個人的事故、紛失等につきましては弊社では責任を負いかねます。
6.歩きやすい靴でご参加ください。
キャンセル・返金について

ツアーキャンセル規定:
1.一週間前よりキャンセルチャージがかかります。(代金の30%)
2.前日キャンセルはツアー代金の50%
3.前日午後5時以降のキャンセル&無連絡はツアー代金の100%をお支払い頂きます。





所要時間
07:00~18:00
交通手段
バス
出発日時
7時「月 火 水 木 金 土 日」
主催会社
李’sファミリー(株)
集合場所
宿泊ホテル

一般ツアー
 2名以下 16,000 円 6,000 円
 3名以上 12,000 円 6,000 円
 4名以上 10,000 円 6,000 円
専用車貸切ツアー
0 円
0 円
0 円
0 円

人数
大人 男 大人 女
小学生 幼兒
一般ツアー
* 専用車貸切ツアーご希望者はチェックして下さい。
合計金額



     
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