韓国5大寺院+5大観音聖地巡り5泊6日
ツアー内容
今回に紹介する旅行は韓国の観音信仰寺院三十三カ所を直接訪れ、無病長寿の個人的な願い、貴重な韓国仏教文化の体験ができるように企画させていただきました。韓国5大寺院(陜川海印寺、梁山通度寺、順天松広寺、九禮華嚴寺、釜山梵魚寺)、韓国5大観世音菩薩聖地(洛山寺紅蓮庵, 江華普門寺、南海菩提庵、麗水向日庵、谷城聖德山觀音寺)などの韓国名刹と百済・新羅・高麗・朝鮮時代の古刹巡礼ができる一生一絵の大事な旅行になると思います。
韓国5大寺院1.仏宝寺刹の通度寺(韓国三宝寺院)
2.法宝寺刹の海印寺(韓国三宝寺院)
3.僧宝寺刹の松廣寺(韓国三宝寺院)
4.九禮華嚴寺
5.釜山梵魚寺
梁山通度寺通度寺は釈迦の真身舍利を奉る名刹で、韓国三宝寺院(仏宝寺刹の通度寺、法宝寺刹の海印寺、僧宝寺刹の松廣寺)の一つながら、仏の真身舍利がある5大寂滅宝宮(靈鷲山通度寺、雪嶽山鳳頂庵石、太白山淨巖寺、五臺山上院寺、獅子山法興寺)の一つです。寺院の記録によると、通道寺と呼ばれたのは、この寺が位置した山の姿がお釈迦さまが説法を施したインド霊鷲山の姿と通じている事と真理を会通して衆生を導く意味で通度寺と命名したといわれています。 唐の国から慈蔵律師が釈迦如来真身舍利(釈迦の遺骨)を奉って来て、善徳女王12年(643年)に創建されました。国内寺院の中でも珍しく、通度寺の大雄殿には仏像を奉安せず、建物の裏に金剛戒壇を設置して仏の真身舎利を奉安しています。金剛のように堅くて貴重な規範という意味の金剛戒壇には通度寺創建の根本精神がおさめられた聖地であり、中央に鐘の形の石造物を設置して、仏舎利を奉安しています。 慈蔵が金剛戒壇に釈迦牟尼の真身舍利を奉安して以来、千三百余年を韓国最高の聖地とされ、通度寺は新羅時代の仏教の根本道場になりました。通度寺のある鷲棲山は美しい自然環境で、寺の入り口から一柱門まで立ち並ぶ数百年を経た松の木と共に寺の法鼓や鐘、夕陽の落照と池、寺の裏の滝と岩などの素晴らしい景色で、通度寺八景と呼ばれています。
順天松廣寺仏宝寺刹の通度寺、法宝寺刹の海印寺と並ぶ僧宝寺刹として韓国三宝寺刹の一つである松廣寺。 三宝とは仏教で貴いとされる仏宝、法宝、僧宝の三種の宝物をいいますが、このうち松広寺は僧宝を持つ寺刹です。僧宝というのは釈迦の教えを習って修行する弟子のことを指し、この寺が僧宝寺刹と言われる理由は、この寺が高僧を多く輩出したことによります。高麗時代を代表する高僧といえば王子出身の大覚国師義天と普照国師知訥が挙げられます。ここ松広寺を建立した普照国師知訥は、高麗仏教の祖で、現在の韓国仏教の教祖としてなっている人物です。 松広寺には、知訥、真覚などこの寺で排出された16人の高僧の肖像画を奉安しています。 隣接の博物館には、高麗高宗の制書、高麗時代に作成した奴隷文書、涅槃経(宝物第90号)、朝鮮末期の実験者大院君の蘭の掛け軸、朝鮮の名筆の秋史金正喜の書、朝鮮王朝第二一代英祖大王の御筆など多くの文化財が展示されている。
陜川海印寺海印寺は韓国三宝寺院(仏宝寺刹の通度寺、法宝寺刹の海印寺、僧宝寺刹の松廣寺)の一つで、仏教の経典を8万枚の板に刻んだ八万大蔵経が保管されていることで有名です。 八万大蔵経は、蒙古の侵略に対して国難克服を祈願する意味で、高麗23年(1236年)から16年 という長い歳月をかけて作り上げられたものです。版木には、南海と巨済地方でとれたホオノキを3年間海水に漬けた後、陰干ししたものが使われています。横68㎝、縦24.5㎝、厚さ3㎝の大きさの板の両端に木をはめて版木の均衡を取り、漆を塗って腐食を防いでいます。 経版の数は81,340枚で、冊数は6,791冊。 これらは温度と湿度が一定に保てるという朝鮮初期の建築物・八万大蔵経板殿に保存されており、ユネスコ世界文化遺産に指定されています。
釜山梵魚寺韓仏教曹渓宗第 14 校具本社である禅刹大本山金井山の梵魚寺は、一千年以上の歴史を持っている古刹の陜川海印寺、梁山通度寺、順天松広寺、九禮華嚴寺とともに韓国5大寺刹の一つです。1300年前の新羅文武王18年(678)に高僧の義湘大師により創建され、文禄の役で焼失し、1602年に再建されて今に至ります。金井山梵魚寺の由来は、金井山の尾根に井戸があって水の色が金色なので「金井」、金色の魚が五色の雲に乗って天からおりてきて「天の魚(梵魚)」という名前が付けられたそうです。特に3つの仏像が並ぶ大雄殿は、朝鮮時代中期の仏教建築の傑作といわれます。西暦678年(新羅文武王18年)元曉大師を始め、多くの高僧達がここで修行しました。
求禮華嚴寺韓国5大寺院(陜川海印寺、梁山通度寺、順天松広寺、九禮華嚴寺、釜山梵魚寺)の一つで、百済26代王(523-554)聖王22年( 544年)にインドの緣起尊者が大雄常寂光殿と海會堂建てて華儼寺創建しました。この地は文殊菩薩がいつも説法する地で、名前も大智文殊師利菩薩の名前を選んで智利山にし、梵僧である緣起尊者が華厳経を説した所なので、華儼寺と言い、そして 智利山 華厳寺になりました。 百済法王(599年)の時には 3千人の僧がいて印度的な華厳思想が百済地にきらめき輝いていました。新羅時代の27代王(632~647)である善德女王14年(645)に慈蔵律師が真身舍利 73果を仕えて4獅子 3階舍利石塔と供養塔を立て、元曉聖師は海會堂で新羅の花郎道達に華厳思想を教えて三国統一成して、義湘祖師は 2階4面7軒の四方の石壁に華厳経を刻んで黃金丈六佛像を仕えて丈六殿の法堂と石燈を造成し、精神的三国統一と華厳聖地にしました。
五臺山上院寺上院寺は、新羅善徳女王12年(643年)に慈藏法師(590〜658)が月精寺と一緒に建てたという説と、新羅31代の王である神文王(在位681〜692)の息子達である宝川と孝明によって作られたという説があります。聖徳王4年(705年)に再建されましたが、1946年に焼失し、1947年に新たに建てられました。 上院寺には3種類の国宝があり、その一つは新羅 聖徳王24年(725)に作られた高さ1.67m、直径91cmの韓国で最も古い同鐘です。鐘が響かせる澄んだ音の美しさと天女二人が雲に乗り羽衣を拡げて空を飛びながら楽器を演奏する姿が繊細に陽刻された奏楽飛天像が有名ですが、今は鐘を保護するために鳴らすことはできません。もう一つは世祖(セジョ:王様の名前)が直接見たと言う文殊童子の姿を彫刻した文殊童子像で国宝221号に指定されています。三番目は、上院寺を再建するために世祖が書いた直筆の御帖である重祠勧善文が国宝229号です。 上院寺入口には、世祖が入浴する際に冠帯をかけておいたことから「冠帯かけ(クァンデゴル)」と呼ばれる所があります。