韓国三十三観音聖地巡礼(2次16聖地巡り)詳細は各々の寺院をクリックしてご参考ください。
| 1.ソウル道詵寺 (1次) |
2.ソウル奉恩寺 (1次) |
3.ソウル曹溪寺 (1次) |
| 4.華城龍珠寺 (1次) |
5.禮山修德寺 (1次) |
6.公州摩谷寺 (1次) |
| 7.金堤金山寺 (1次) |
8.長城白羊寺 (1次) |
9.扶安來蘇寺 (1次) |
| 10.高敞禪雲寺 (1次) |
11.海南大興寺 (1次) |
12.順天松廣寺 (1次) |
| 13.麗水向日庵 (1次) |
14.南海菩提庵 (1次) |
15.河東雙鷄寺 (1次) |
| 16.求禮華嚴寺 (1次) |
17.陜川海印寺 (1次) |
18.釜山梵魚寺 (2次) |
| 19.梁山通度寺 (2次) |
20.慶州仏国寺 (2次) |
21.慶州祇林寺 (2次) |
| 22.永川銀海寺 (2次) |
23.大邱桐華寺 (2次) |
24.金泉直指寺 (2次) |
| 25.報恩法住寺 (2次) |
26.義城孤雲寺 (2次) |
27.三陟新興寺 (2次) |
| 28.襄陽洛山寺 (2次) |
29.平昌月精寺 (2次) |
30.寧越法興寺 (2次) |
| 31.原州龜龍寺 (2次) |
32.驪州神勒寺 (2次) |
33.江華普門寺 (2次) |
1.ソウル道詵寺僧侶道詵がこの山勢が千年後の末法時代に仏法を再び興すところだと見通し、 新羅時代の48代王である景文王2年(862年)に寺を創建し、大きい岩に磨崖観音菩薩像である道先寺石仏(高さ8.43m)を彫刻しました。この石仏には霊験があるといわれて祈願者が列をなし、石仏の前には石塔と石燈があります。道詵寺で有名なのは道先國師が彫刻した不思議な力を持つと知られている石仏の磨崖観音菩薩像と青潭和尚です。
2.ソウル奉恩寺 (ボンウンサ)修道山に位置した奉恩寺は千年余の法灯をつづけた古刹で、新羅時代38代王(785∼798)である元聖王10年(794年)、練会国師が見性寺を創建し、朝鮮王朝(1498年)第18代燕山君の王妃、貞顕王后が先代成宗王の宣陵の奉陵寺院としてこの寺を修築した際に、奉恩寺と改めました。 大雄殿には釈迦三尊仏の釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・薬師如来仏と十一面観音菩薩像を奉安して、寺の中には 海水観音像、 高さ23mの韓国最大の弥勒大仏があります。奉恩寺の選佛堂で朝鮮時代は僧科試が行われ、西山大師と泗溟大師も登科しました。
3.ソウル曹溪寺曹溪寺は朝鮮時代1代王(1392∼1398)である太祖4年(1395年)に創建された寺院で、1910年僧侶の韓龍雲・朴漢永らにより重建され、覚皇寺と呼ばれました。1939年からは太古寺と呼ばれ、1954年の仏教浄化以後には曹渓寺に改称されました。韓国仏教の歴史と伝統を代表する宗団である大韓仏教・曹渓宗の総本山として韓国仏教の中心としての役割を果たし、釈迦牟尼の教えを根本にし、直指人心、見性成仏、伝法度生を宗旨としています。極楽殿の阿弥陀仏の脇侍仏に、観世音菩薩像を奉安しています。 大雄殿には木釋迦佛坐像、後佛幀畵があり、境内には樹齢が推定できない天然記念物第9号のソウル寿松洞の白松があります。
4.華城龍珠寺竜珠寺(ヨンジュサ)は統一新羅時代の46代王(839∼857)である文聖王16年 (854年)に廉居和尙が創建された葛陽寺(カリャンサ)の跡地に建立された寺院です。1636年、丙子胡乱(中国の清が朝鮮を侵略した戦争)で焼失し、朝鮮王朝第22代王である正祖が非業の死を遂げた父の思悼世子の御陵を水原の華山に移したこと(顕隆園の陵寺)がきっかけとなって、再建されました。落成式の前日の夜、王である正祖は夢の中で一匹の竜が如意珠をくわえて昇天する姿を見て、建てた寺院を竜珠寺と名付けました。非命に死んだ父・思悼王世子の冥福を祈ろうとした仏心と親孝行が合わさった寺院で、仏説父母恩重経板など仏教の孝に関係の史料と遺跡があり、仏教が政治的にも社会的にも抑圧されていた朝鮮時代に建てられたことは歴史的に大きい意味を持っています。大雄宝殿には三尊仏の釈迦牟尼仏、阿弥陀仏、薬師仏を奉安して、後仏幀畫に観世音菩薩像を奉安しています。朝鮮時代(1392~1910)の画家である金弘道(バク・シンヤン主演ドラマ風の絵師)の指揮で描かれたという大雄殿にある後仏画と、梵鍾閣の銅鐘(高麗時代)は傑作と評価されています。また大雄殿の前にある黄楊は樹齢が約200余年も過ぎたもので、天然記念物第264号に指定されています。
5.禮山修德寺德崇山(德をあがめ尊ぶ山)にある修德寺(德を修める寺)は現存する百済の古刹の一つであり、修徳寺大雄殿は、現存する韓国最古の木造建築物です。創建に関する正確な文献記録は残っていませんが、境内で百済の瓦が発見されたことから、百済時代(威徳王在位時554~597)に創建された寺と考えられています。7世紀の中期に崇濟法師が註釋したり、僧侶惠現が<法華経>を講論したりしました。このお寺の特徴は山の斜面に建物が分散して建てられているという点で、本殿である大雄殿(国宝)や観音菩薩立像など、大小20余りの建物があります。 キレイに装飾が施された韓国独特のお寺で、 建物の周囲にはお釈迦様の人生画が極彩色で描かれています。
6.公州摩谷寺新羅時代の代王(632∼647)である善徳女王9年(640年)に地蔵律師が公州の泰華山に創建したと伝わっています。新羅時代の普徹和尚が説法の際に、集まった信徒が麻畑に麻が生えたように見えたことから麻谷という名前が付けられました。普照國師、道詵國師が重修した記録があります。大雄宝殿は釈迦牟尼仏を中心に薬師如来仏・阿彌陀仏を、大光宝殿の壁画には水月白衣観世音菩薩像を奉安しています。馬谷寺五重石塔の相輪部分はモンゴル支配期ラマ仏教の影響を受けて風変わりです。
7.金堤金山寺 金堤平野は昔の百済に属する所で、百済が新羅に滅ぼされ、現世に絶望した百済遺民が弥勒信仰のよりどころとしたのがこの金山寺です。百済時代の29代王(599∼600)である法王1年(599年)に創建され、新羅恵恭王2年(766年)に眞表律師が4年にかけて寺を重建しました。眞表律師は33体の鉄彌勒仏像を弥勒殿に安置し、ここを弥勒信仰(法相宗)の根本道場としました。弥勒は未来の仏様で、釈迦の入滅後、56億7,000万年が過ぎた後に現れ、釈迦が救うことの出来なかった衆生を残らず救います。眞表律師が金堤に弥勒信仰を植え付けたのは旧百済の地が持つ痛みのためで、後百済建国を夢見た甄萱が、四番目の息子に王位を譲り、長男の神検にここ金山寺に3年間幽閉され、監視人に酒を飲ませて逃亡した甄萱は高麗王「王健」に自ら投降し、後百済を滅亡させた甄萱に因んだ史料が残っています。
8.長城白羊寺白羊寺は百済武王33年(632)に如幻禅師が創建して白い岩の由来の白岩山名に因んで白岩寺と名付け、高麗徳宗の時、中延禅師が重創して浄土寺と改称し、朝鮮宣祖の時、喚羊禅師が重建しながら現在の白羊寺に変わりました。喚羊禪師が金剛経を說法中の法會が3日目になる日に白い羊が降りてきて說法を聞き、7日間続く法會が終った日の夜に禪師の夢に白い羊が現れ「私は天上で罪を犯して羊に変わったがお坊さんの說法を聞いて生まれ変り、天國へ行くことになった」とお辭儀をしたそうです。その次の日に岩の下で白い羊が死んでおり、それ以後に寺の名が白羊寺となりました。
9.扶安來蘇寺百済時代の30代王(600-641)である武王34年(633年)に僧侶恵丘頭陀が蘇來寺を創建し、寺院名は来蘇寺に変わりました。来蘇寺は華麗な丹青が色褪せたり剥げたりして、木材のやさしい感触がそのまま見えて、温かい雰囲気と安らぎを感じさせる寺院です。大雄宝殿は朝鮮仁祖 11年 (1633年)に清旻を作くり, その建築様式が非常に精巧で幻想的なので朝鮮中期寺院建築の代表的作品と言い、中央には阿弥陀仏、左右には脇侍仏の観世音菩薩と大勢至菩薩を、後仏幀画には白衣観音菩薩坐像が奉安されています。
10.高敞禪雲寺禅雲寺は百済の時代(554-598)の27代の王である威德王24年(577年)に黔丹禅師が創建した寺です。当時は大きな寺でしたが、丁酉再乱(1957年)の際に焼失しました。禅雲寺内には大雄宝殿、万歳楼、霊山殿、冥府殿などの建物があり、兜率庵をはじめとする4つの庵があります。大雄宝殿の三尊仏の後仏壁画には、薬師如来仏には日光菩薩と月光菩薩を、毘盧遮那仏には文珠菩薩と普賢菩薩を、阿弥陀仏には観世音菩薩と大勢至菩薩像を奉安し、観音殿には、幀畫の十一面千手観世音菩薩像を奉安しています。禪雲寺韓国一の地増菩薩聖地と言われ、他にも僧侶らの舎利を集めた浮屠や、兜率庵の真興窟と高さ17メートルの巨大な磨崖仏(黔丹禅師が修道中に記録した本を磨崖仏像の臍に入れた)も見所のひとつです。
11.海南大興寺大興寺(テフンサ)は韓国の最南端にそびえている頭崙山(トゥリュンサン)にあり、426年新羅の僧侶浄観が創建した挽日庵と言う説と、真興王 5年(544)に阿道が創建したと言う説もありますが、確認は出来ないです。頭輪山は大芚山(テドゥンサン)とも呼ばれていたため、当初この寺院も大芚寺と名付けられたが、近代に入って大興寺に改められました。大雄宝殿の甘露幀畫に阿弥陀三尊仏の観世音菩薩を奉安し、聖宝博物館には草依禅師の十一面四十臂観音菩薩図を奉安しています。
12.順天松廣寺仏宝寺刹の通度寺、法宝寺刹の海印寺と並ぶ僧宝寺刹として韓国三宝寺刹の一つである松廣寺。三宝とは仏教で貴いとされる仏宝、法宝、僧宝の三種の宝物をいいますが、このうち松広寺は僧宝を持つ寺刹です。僧宝というのは釈迦の教えを習って修行する弟子のことを指し、この寺が僧宝寺刹と言われる理由は、この寺が高僧を多く輩出したことによります。高麗時代を代表する高僧といえば王子出身の大覚国師義天と普照国師知訥が挙げられます。ここ松広寺を建立した普照国師知訥は、高麗仏教の祖で、現在の韓国仏教の教祖としてなっている人物です。 松広寺には、知訥、真覚などこの寺で排出された16人の高僧の肖像画を奉安しています。 隣接の博物館には、高麗高宗の制書、高麗時代に作成した奴隷文書、涅槃経(宝物第90号)、朝鮮末期の実験者大院君の蘭の掛け軸、朝鮮の名筆の秋史金正喜の書、朝鮮王朝第二一代英祖大王の御筆など多くの文化財が展示されている。
13.麗水向日庵義慈王4年(644)に元暁大師が圓通庵として創建した向日岩は'日を向いた庵'という意味で、向日岩は韓国4大観音聖地(洛山寺紅蓮庵, 江華普門寺、南海菩提庵、麗水向日庵)の一つです。向日庵は海に泳いでいく金亀の背中に乗った地形になっています。大雄殿には釈迦牟尼仏を左右には脇侍仏の観世音菩薩像と地蔵菩薩像を奉安し、観音殿に観音菩薩像と観音幀畫を奉安しています。観音殿の隣には石造観音菩薩立像と童子像があります。向日庵は金鰲山の奇岩絶壁の間に鬱蒼たる椿と南海の水平線から浮き出る日出が絶景で全国の各地から多くの観光客が訪れる名所で、元暁大師が修道した観音殿の前で眺める海の景色も綺麗です。
14.南海菩提庵683年(新羅31代王、神文王 3)に元曉が草庵を創建し、修道しながら観世音菩薩を親見した後に山の名前を普光山,草庵の名前を普光寺だと名をつけました。海水観音像、普光殿に観音三尊仏を奉安し、極楽殿の中央には阿弥陀仏を左右には脇侍仏の観世音菩薩像と大勢至菩薩像を奉安しています。朝鮮時代には李成桂がこちらで百日祈祷をして朝鮮王朝を開いたことに感謝する意味で山の名前を金山, お寺の名前を菩提庵だと変えました。洛山寺紅蓮庵, 江華普門寺と一緒に韓国 3大観世音菩薩聖地の一つです。インドから持って来た、大きい竹切れを背景に座っている香木観世音菩薩像があります。菩提庵は心を込めて祈りを捧げれば、一つの願いは必ず聞き届けてくれるというので、大勢の人が祈願成就を祈るために菩提庵を訪れています。
15.河東双渓寺珍島のほぼ中心部にある尖察山(チョムチャルサン、標高485m)を北にして、両脇に渓谷が流れる場所に位置している双渓寺(サンゲサ)は、新羅時代の聖徳王21年目(722年)に大悲和尚と三法和尚が中国の唐王朝の僧侶である六祖慧能の肖像を持って帰国し"智異山の雪の渓谷に葛の花の咲いている場所に奉安しなさい"と夢で告げされ、虎の引導でここを見つけて寺を建て、その後、舎利を奉安して玉泉寺(オクチョンサ)が重建されました。金大簾が唐から茶の種を持ち帰り、ここ智異山の周辺に植えはじめ、真鑑国師(チンガムグクサ)が双渓寺と花開近所に茶畑を造成, 普及し、玉泉寺を大きく増築しました。王はその働きぶりを称え、増築した寺に「双渓寺」という名を賜ったそうです。
16.求禮華嚴寺韓国5大寺院(陜川海印寺、梁山通度寺、順天松広寺、九禮華嚴寺、釜山梵魚寺)の一つで、百済26代王(523-554)聖王22年( 544年)にインドの緣起尊者が大雄常寂光殿と海會堂建てて華儼寺創建しました。この地は文殊菩薩がいつも説法する地で、名前も大智文殊師利菩薩の名前を選んで智利山にし、梵僧である緣起尊者が華厳経を説した所なので、華儼寺と言い、そして 智利山 華厳寺になりました。百済法王(599年)の時には 3千人の僧がいて印度的な華厳思想が百済地にきらめき輝いていました。新羅時代の27代王(632~647)である善德女王14年(645)に慈蔵律師が真身舍利 73果を仕えて4獅子 3階舍利石塔と供養塔を立て、元曉聖師は海會堂で新羅の花郎道達に華厳思想を教えて三国統一成して、義湘祖師は 2階4面7軒の四方の石壁に華厳経を刻んで黃金丈六佛像を仕えて丈六殿の法堂と石燈を造成し、精神的三国統一と華厳聖地にしました。
17.陜川海印寺海印寺は韓国三宝寺院(仏宝寺刹の通度寺、法宝寺刹の海印寺、僧宝寺刹の松廣寺)の一つで、仏教の経典を8万枚の板に刻んだ八万大蔵経が保管されていることで有名です。 八万大蔵経は、蒙古の侵略に対して国難克服を祈願する意味で、高麗23年(1236年)から16年 という長い歳月をかけて作り上げられたものです。版木には、南海と巨済地方でとれたホオノキを3年間海水に漬けた後、陰干ししたものが使われています。横68㎝、縦24.5㎝、厚さ3㎝の大きさの板の両端に木をはめて版木の均衡を取り、漆を塗って腐食を防いでいます。