釜山
釜山梵魚寺韓仏教曹渓宗第 14 校具本社である禅刹大本山金井山の梵魚寺は、一千年以上の歴史を持っている古刹の陜川海印寺、梁山通度寺、順天松広寺、九禮華嚴寺とともに韓国5大寺刹の一つです。1300年前の新羅文武王18年(678)に高僧の義湘大師により創建され、文禄の役で焼失し、1602年に再建されて今に至ります。金井山梵魚寺の由来は、金井山の尾根に井戸があって水の色が金色なので「金井」、金色の魚が五色の雲に乗って天からおりてきて「天の魚(梵魚)」という名前が付けられたそうです。特に3つの仏像が並ぶ大雄殿は、朝鮮時代中期の仏教建築の傑作といわれます。西暦678年(新羅文武王18年)元曉大師を始め、多くの高僧達がここで修行しました。
面白い質問)1.日本の京都の高山寺に義湘大師の一生を描いた絵巻物と善妙の像が伝えられている?
2.善妙の像は現在とこの博物館にある?
3.義湘大師日本に伝えた仏教思想は?
龍頭山公園・釜山タワー龍頭山(ヨンドゥサン)公園は、海から陸地にはい上がる竜の頭に似ていることから、龍頭山と呼ばれています。 公園の中の釜山タワーは釜山を代表するタワーで、展望台の形は慶州の仏国寺多宝塔の上層部にあたるボゲを模して作られ、高さ120メートル、360度のパノラマでは釜山市が一望でき、晴れた日には対馬まで見ることができます。特にここから眺める夜景は見ごたえ十分。公園内には韓国の英雄、李舜臣将軍(李舜臣将軍は豊臣秀吉の軍を撃退した水軍の師として尊敬されています。)の銅像・花時計・子供科学展示館・生物展示館もありますので、釜山市民の憩いの場です。
面白い質問)1.龍頭山(ヨンドゥサン)公園に日本の植民地時代の日本人居留地があった?
2.龍頭山(ヨンドゥサン)公園に日本の植民地時代の神社があった?
ヌリマルAPECハウス2005年11月、釜山で開催された第13回APEC首脳会議(21ヵ国参加のアジア太平洋経済協力会議)の会議場として使われたヌリマルAPECハウスの名称は、韓国語のヌリ(世界)、マル(頂上)と、APECハウスを組み合わせたもので、「世界のトップが集まり、APEC会議を行う家」という意味をもっています。前は広安大橋と五六島が絵のように広がって、後は椿島の青い松林が囲んだ自然の美しい冬柏島(トンベクソム)の景色が綺麗で、現在は記念館や高級国際会議場として活用しています。ヌリマルAPECハウスは、全体面積905坪、地上3階建てで、1階は器械室、 2階は宴会場、 3階は会議場で構えられています。特に3階の会議場には鶴、月、山の韓国の美しい自然が覗き見える螺鈿彫刻作品、丹青色の垂木が美しく造形された天井、12地神を形象化したカーペット、韓紙で飾られた壁、2階宴会場の廊下には訓民正音の原文の壁面などの芸術作品が見られます。チョ・ヨンピル歌の釜山港へ帰れに出てくる椿咲く冬柏島(トンベクソム)が見られます。
面白い質問)1.日本で開かれたAPEC首脳会議の地域は?
国際市場 国際市場は1945年の韓国独立の時、日本人が立ち去る際に戦時統制物資を売り始め、空き地に自然発生的に常設市場が生まれ、1950年の朝鮮戦争以後、避難民が商売を始め、市場としての形が形成され、大きくなったと言われています。朝鮮戦争後に米軍放出品やヤミ物資の缶詰などを売り出したのが発祥ですが、現在1,500あまりの店舗が軒を連ねて日用雑貨(寝具、厨房用品、家電製品)から衣類(韓服専門店、パジャマ、婦人服、下着、靴下、水着)、革製品(カバン、靴)、おもちゃ、お土産、メガネ、アクセサリー、化粧品屋などなど低価格なものから高価なものまで商品が豊富で、ショッピングが楽しめる釜山最大の総合市場です。映画『チング(友達)』ロケ地も見られます。
面白い質問)1.釜山は韓国で何番目の都市?
2.釜山の人口は?
海東龍宮寺 海東龍宮寺の創建主は高麗恭慇王の王師であった懶翁和尚で、ある日、和尚の夢の中に東海の龍王が現れ「蓬莱山の山端に寺を建てて祈れば雨風がよく収まり、国が安定し、民も安らぐ」と告げたことから1376年に普門寺を創建。文禄・慶長の役で寺は消失し、1930年代に通度寺(トンドサ)の蕓崗(ウンガン)和尚が寺を再建し、1974年にジョナム和尚が100日発願の100日目に白い衣をまとった観音様が龍に乗って昇天する光景をみたという霊験により寺の名前が海東龍宮寺と改名されました。階段の数は108段で、人間の108の煩悩を表し、階段を一つ下りることによりその煩悩を一つ忘れるといわれています。龍宮寺を代表するのは高さ10メートルの観音様で、ひとつの石から作られた仏像としては韓国最大級。「陽陽落山寺、南海菩提岩」とならぶ韓国の観音菩薩信仰の観音聖地の一つです。誰もが心から祈りさえすれば必ず一つの願いを叶えてくれると伝えられ、参拝客が絶えないと言われています。
釜山に現存する日本時代の建築物
旧釜山地方気象庁 1904年3月に日本・中央気象台臨時観測所を設置、建物のデザインは船模様、一番上の階と屋根は船長室を象徴する形。1939年には朝鮮総督府気象台釜山観測所で使用されました。
影島大橋 釜山市民にはヨンドダリと呼ばれた影島大橋(当時は釜山大橋)は、韓国唯一の跳ね橋として1932年3月に着工、工事中に死んだ人が多い難工事の末、1934年11月に竣工されました。橋の長さ214.63m、跳ね橋部分31.30m、幅18mで、1日6回、20分間橋が開き、開通式の船が通る様子を見るために6万人が集まりました。
海雲台ビーチ 大韓八景の一つに挙げられる海雲台は日の出の壮観と月の出の神秘感が一カ所で観賞できる所として有名です。新羅の文人・崔致遠(号・海雲)が冬柏島を訪れて景観を賞し、岩に「海雲台」と彫ったのが地名の起源になりました。毎年7月1日から8月31日まで海水浴が可能で、海水浴場の白浜は延長1.5km、幅30~35m、面積58,400㎡であり、12万名を収容できます。海雲台区庁前の海岸の方には皮膚病、高血圧、リウマチ、貧血、消化器疾患に効果がある温泉銭湯が密集して、新羅時代の真聖女王が湯治を行った温泉としても有名です。海雲台海水浴場を過ぎて松亭海水浴場へ向かうダルマジ小路は桜と松の林がうっそうと茂る静かな細道で、15回以上曲がっているので15曲道ともいい、ドライブコースになっています。牛が横たわった形に因んで臥牛山と呼ばれています。
チャガルチ(ジャガルチ)市場 チャガルチ(ジャガルチ)市場は、釜山を代表する有名な魚市場で、2006年末にリニューアルオープンしました。韓国最大の魚市場であるチャガルチは、韓国戦争の後、戦争で夫を亡くした女性達が南浦洞(ナンポドン)の路上で魚を売ったのがその始まりで、ここで働く全てのおばさん達を ‘チャガルチおばさん‘と呼んできました。魚屋では新鮮な鯛やひらめ、海鞘、イカ、タコ、ほや、鯨などをその場で食べさせてくれる物、ホンオ(アカエイ)やコムジャンオ(ヌタウナギ)、ケブルといった珍しい魚に出会うこともできます。また、ここでは“オイソ(来てね)、ボイソ(見てね)、サイソ(買ってね)”というスローガンを掲げて、1992年から毎年10月8日から11日頃まで、ジャガルチ文化観光祭りが開かれています。
面白い質問)1.釜山は韓国で何番目の都市?
2.釜山の人口は?
黃嶺山 高さ427Mの穏やかな山で、日本の植民地時代には銅と金を掘リ出す鉱山でした。黃嶺山頂上から見える釜山市内の夜景、ライトアップされた広安大橋などの夜景は釜山一で、見ごたえがあります。面白い質問) 1.釜山は韓国で何番目の都市? 2.釜山の人口は?
慶州
慶州仏国寺佛国寺は吐含山南西麓に建立された寺刹で、751年金大城により着工し、金大城の死後も国家により事業が 引き継がれ、774年に堂宇を完成しました。仏国寺と石窟庵は、この二ヶ所を見ずには新羅芸術、または韓国文化を論じる事は出来ないと言われるほど昔から広く知られた優秀な文化財です。仏国寺は新羅人がこの世に造り出した仏の国で、3つの世界を仏国寺に造ろうとしました。3つの世界は1.悟りの世界、2.極楽の世界(苦しみがなく、誰もが安らぎを感じる極楽世界)、3.蓮華蔵世界(発願と修行によって清められた広大無辺の世界を意味する)です。
石窟庵統一新羅時代の第35代景徳王10年(751)に仏国寺創建当時の宰相だった金大成によって起工し、彼の死後には国が引き続き完成させました。金大成は現世の父母のために仏国寺を建て、前世の父母のために石仏寺(石窟庵)を建てました。王族による国家的な造営で、当時は石窟寺と呼ばれていました。石窟庵は花崗岩を手入れして積み上げ、ドームの型に築いてから上に土を覆いかぶせ、洞窟のように建てた人工の石窟寺院です。朝鮮時代の仏教弾圧などにより、長い間、存在が忘れ去られていましたが、1909年に雨宿りをした郵便配達員が偶然に発見しました。石窟庵は湿気が多い自然の障害を乗り越えて、自体的に換気と湿度を調節できる能力を持っていましたが、日本の大規模な修復工事で建立当時の石像の配置が分からなくなったり、コンクリートで補修され、石窟内部に蒸気が篭るようになり、人為的な換気装置を設置して現在は室内の湿度が常にコントロールできるようにしました。特に、360枚あまりの板石で作られた円形の主室のドーム型天井は、8世紀半ばの新羅人の科学水準を物語る建築技法として知られています。
瞻星台(車窓見学)新羅末期の善徳王(632~646)時代に建てられたと推定される瞻星台は、東洋最古の天文台です。空に現れる日気を観測して星の位置を知るために作られたもので、高さ約30cmの花崗岩を361~365個積み上げて作った石の塔で、その石の数は陰暦の1年間の日数を表しています。全体的な外形を見ると「土台」、「円筒形の本体」、「天辺」の3つの部分から成っており、規模は高さ約9m、下部の直径約5m、上部の直径約3m。
慶州大陵苑(天馬塚,黄南大塚)韓国のピラミッド・大陵苑で、この大陵苑は新羅王朝の王族の大規模な古墳群になります。最も有名なのは、天馬塚と皇南大塚で、天馬塚という名前は1970年代の発掘された時に、天に登る馬の姿が描かれた絵が見つかったために付けられたものです。 黄南大塚は一番大きく、夫婦陵で天馬塚より多い三万点の遺物が発見されていて、新羅時代の女性の地位がどれほど高かったものかを知ることが出来ます。
面白い質問)1.新羅時代は王様が亡くなってから何年間続いた?
2.新羅時代の最初の王様は卵から生まれた?
3.新羅時代の一番の支えは何か?
4.新羅時代にも仲良しの夫婦陵があった?
国立慶州博物館新羅(BC57-AD935)の首都であった古都・慶州の文化遺産を見ることができる博物館として、 先史時代から朝鮮時代に到る遺物21万点あまりを所蔵しており、その中で3,000点余りを展示しています。先史時代の青銅器、銅鏡から5~6世紀の新羅焼、金銀装飾品、新羅瓦、8世紀頃の土器、南山の石仏など見どころは多く、特に古墳公園の天馬塚から出土した金冠と博物館の門の近くにある聖徳大王神鐘は必見です。
面白い質問)1.徳大王神鐘は本当に子供を生贄として供えま(人身御供)した?
崔富者(長者)の家(慶州校洞法酒)崔家は慶州の富農で、この家の周辺8里までが崔家の土地だったといいます。崔家の家訓は『徳をもって皆に施せ』で、周辺8里までの人が飢え死にならないように凶年には倉庫を開け放ち人々に食料を配ったといいます。崔家が酒を造り始めたのは今から9代前のことです。崔家が造るお酒はお客様をもてなすためのお酒です。この地を訪れる過客に対し、一晩の宿と食事を提供しお酒でもてなしました。300年という長い歴史を持つ校洞法酒はもち米を使用して、賞味期限はわずか15日。手作りで、1日わずか16本しか作ることができず、防腐剤などを入れず、熱処理を行わない生酒であるため長く保存することはできません。
面白い質問)1.校洞法酒何で作るお酒?
皇南パン(ご希望の場合は案内)
雁鴨池雁鴨池は新羅第30代文武王が三国統一を達成した後の674年に造られた宮廷付属の庭園。新羅の宮廷である半月城の東に位置し、当時は月池と呼ばれましたが朝鮮時代以降雁鴨池と呼ばれました。 統一新羅時代の王族たちの宴会、会議場及び貴賓の接待場所として使われた所です。
豆知識)慶州旅行で有名なお土産は?
1.校洞法酒
2.慶州皇南パン