釜山・蔚山の韓国の中の日本旅行
ツアー内容
釜山旅行を企画している方に今回は普通の観光では行けない場所へご案内させていただきます。釜山は日韓関係でもっとも交流が多かった地域で、日本の植民地時代の建築物の一部は現在まで残っています。釜山から蔚山までの日本の植民地時代の建築物「旧朝鮮総督府気象台釜山観測所」、「旧東洋拓殖株式会社」、「影島大橋」、「旧釜山鎭日新女學校」、「旧慶南道知事官舍」、「旧慶尚南道庁」、「旧釜山高等水産学校」、「旧上北面事務所」、「彦陽聖堂」、また、日韓関係の関わりの所である種のないスイカを開発した世界的な農学者「禹長春博士記念館」、釜山市立公園墓地「日本人慰霊碑& 李秀賢氏墓(JR新大久保駅で死亡した韓国人留学生)」など特別な所へご案内させていただきます。せっかくの韓国旅行の方々に韓国ならでは、弊社ならではの特別な思い出をプレゼントいたします。
釜山・蔚山地域に現存する日本時代建築物
旧釜山地方気象庁 1904年3月に日本・中央気象台臨時観測所を設置、建物のデザインは船模様、一番上の階と屋根は船長室を象徴する形。1939年には朝鮮総督府気象台釜山観測所で使用されました。
旧釜山鎭日新女學校日新女学校(現在、釜山慶南敎役者硏修院)は1895年にプロテスタントのオーストラリア長老教宣教会のMenzie宣教師により、藁葺きの家を取り壊して稀少な洋式建築で建てました。当時には女性として高等教育を受けるのが難しいのに女性の教育機会を与えた点が高く評価されています。
釜山近代歴史館(旧東洋拓殖株式会社)1929年、日本の植民地時代に朝鮮の経済を支配する目的で東洋拓殖株式会社釜山支店として建てられました。釜山の人々にとっては、釜山の悲しい歴史の象徴となってもいるのです。
影島大橋 釜山市民にはヨンドダリで呼ばれた影島大橋(当時は釜山大橋)は、韓国唯一の跳ね橋として1932年3月に着工、工事中に死んだ人が多い難工事の末、1934年11月に竣工されました。橋の長さ214.63m、跳ね橋部分31.30m、幅18mで、1日6回、20分間橋が開き、開通式の船が通る様子を見るために6万人が集まりました。
旧慶南道知事官舍(臨時首都記念館)1926年8月に慶尚南道・道知事の官邸が木造2階建てで日本式瓦の家の様式で完成されました。韓国戦争時(1950~53年)には李承晩大統領の官邸としても使用されました。
旧慶尚南道庁東亜大・富民キャンパスの社会教育院は1925年に慶尚南道の道庁として建設。韓国戦争時には臨時首都政府庁舎、釜山地方法院・検察庁として使用されました。
旧釜山高等水産学校(釜慶大學校)現在の釜慶大学は朝鮮総督府が釜山の水産業の総合調査を実施に当たって、水産業研究の目的で水産試験場を建てた建物です。
旧上北面事務所1932年に韓国伝統木造建築に玄関ポーチを設けるなど日本建築様式を加味して建てました。日本の植民地時代の地方驛舍の形式、構造、空間構成をよく見せてくれる建物です。現在は地域主民の福祉増進の為、主民自治センターで利用しています。
彦陽聖堂本館と司祭館蔚山地域最初の聖堂で、 彦陽聖堂本館と司祭館は1936年建立されました。彦陽聖堂は船模様で出来て、聖堂の裏山の聖母洞窟も人気の場所です。
日韓関係の所
禹長春博士記念館種のないスイカを開発した世界的な農学者・禹長春博士の誕生100周年を迎えて1999年記念館をオープンしました。禹長春博士は日本に亡命した父・禹範善と日本人・酒井ナカとの間に広島県で生まれました。
記念館は月曜日、休日、祝日、旧正月、お盆休み
釜山市立公園墓地日本人慰霊碑国交正常化前の1962年に釜山で亡くなった(1910年~1945年)日本人の為に、色んな所に放置された遺骨、位牌などを1ヶ所に集め、慰霊碑と納牌堂を釜山市立公園墓地内に建立しました。日本人の位牌は1528。