[韓国旅行.百済仏教.日帰り] 百済歴史探訪-「百済の微笑と百済仏教の伝来地」

 
百済歴史探訪-「百済の微笑と百済仏教の伝来地」

ツアー内容
韓国旅行を企画している方に、今回は日本に飛鳥文化と奈良文化、飛鳥寺創建、仏像やお経などの仏教の伝来地、百済の微笑、時代を遡る百済仏教の伝来地を中心にご案内させていただきます。百済仏教伝来地の「法聖浦」、百済地に仏教を初めて伝えたインドの僧、摩羅難陀(マラナンダ)を記念して建てた「摩羅難陀寺」、百済に初めて仏教の寺を開いた「仏甲寺」、百済時代の最大の伽藍で、韓国の最高・最大の石塔「益山弥勒寺の塔」、百済滅亡の悲しみと百済に残る2つの石塔「定林寺址5層石塔」、日本最初の海外留学生善信尼たちの壁画がある「皐蘭寺」、現存する百済の古刹の一つで、韓国最古の木造建築物「修德寺」、百済の微笑で有名な「瑞山の磨崖三尊仏」を一日でご案内は難しい日程ですが、せっかくの旅行の良い思い出になれるように欲張って企画し、ご案内を頑張らせていただきますので、応援してください。
瑞山の磨崖三尊仏
磨崖三尊仏は瑞山郊外の山の中腹の岸壁に彫られています。瑞山市は忠清南道・西北地域の西海岸近くにあり、当時扶余や公州から中国へ行く交易路の途中で百済の交通路にあたり、道行く人の安寧を願うために作られたと説明があります。韓国は木材が豊富ではないので花崗岩を加工した石塔が多く作られるようになり、その技術を駆使して摩崖仏も彫られました。 この磨崖三尊仏は韓国最古の磨崖仏で、西暦 600年頃に彫られたものでいずれもほほえみを浮かべているので「百済の微笑」として有名です。中央には本尊仏である釈迦如来立像(高さ2.8m)を、左右には脇侍菩薩をおいて、左側には提和竭羅菩薩立像を右側には弥勒半跏思惟像を配置し、三尊仏が満面に慈愛を湛えた微笑みで、百済人の温和で浪漫的な気質が見られるようです。この三尊上は『法花経』に出る釈迦と弥勒、提和竭羅菩薩を表現したことに推定されます。1400年近く屋外にあり風雨にさらされてきたのに保存状態が良く仏像の表情が非常に豊かに微笑んでいます。仏教が百済に入って150年後、百済・聖明王の使節が大和・欽明天皇の時代(538年)に釈迦仏の金銅像一体と経綸を贈り、天皇に仏教信仰を勧めたと伝えられています。ここから海を渡り、瀬戸内海を経て、難波から大和川を遡って着いた場所が現在の奈良県桜井市金屋という場所です。日本の仏教がこの場所から広まっていったのです。この磨崖三尊仏が飛鳥仏のルーツといわれているそうです。左側の提和竭羅菩薩は日本にある仏様の顔とよく似ているようです。 ※三尊仏に対して説明が要ると思います。本尊仏である釈迦如来立像は釈迦牟尼を表し、現在を象徴する現在仏で、左側の提和竭羅菩薩は燃燈仏が成仏になる前の菩薩の時の名前で提和竭羅菩薩は釈迦よりずっと前に出現して善慧菩薩と言う名前で修行していた釈迦に将来成仏になれるだろうと言う授記を与えた菩薩で過去を象徴する過去仏です。右側の弥勒菩薩は現在仏である釈迦が兜率天の弥勒菩薩にこれから 56億7千万年後に成仏するだろうと言う授記を下げたので、未来を象徴する未来仏です。このように授記を取り交わした三人の成仏を授記三尊仏と言って過去,現在,未来を象徴しています。


修德寺
德崇山(德をあがめ尊ぶ山)にある修德寺(德を修める寺)は現存する百済の古刹の一つであり、修徳寺大雄殿は、現存する韓国最古の木造建築物です。創建に関する正確な文献記録は残っていませんが、境内で百済の瓦が発見されたことから、百済時代(威徳王在位時554~597)に創建された寺と考えられています。7世紀の中期に崇濟法師が註釋したり、僧侶惠現が<法華経>を講論したりしました。このお寺の特徴は山の斜面に建物が分散して建てられているという点で、本殿である大雄殿(国宝)や観音菩薩立像など、大小20余りの建物があります。 キレイに装飾が施された韓国独特のお寺で、 建物の周囲にはお釈迦様の人生画が極彩色で描かれています。 修徳寺大雄殿は正面三間、側面四間の柱心包(エンタシス)のマッベ(軒先が吊り上がり、側面はの露出されている)屋根で出来ています。高さ2.4mの石壇の上に立っており、礎石は自然石で、柱はエンタシス様式、華麗な装飾として典型的な牛眉の形のはり(ウミリャン)を使っています。



扶蘇山城
この城は、泗泚都城を防御する核心施設になっていて、泗泚城とも言われました。城の施設物では東・西・南・北の四ヵ所の門址、及び竿、軍倉址等があります。山城の中には日の入りや月を楽しんだ所「半月楼」、百済滅亡直前の臣下である「成忠」、興首、階伯将軍を祭っている「三忠祠」、百済の王族が日の出を楽しんだ「迎日楼」、炭化米・炭化した麦や豆が大量に発掘された「軍倉」跡、百済時代「送月台」といって王が月を愛でた場所「泗沘楼」などが見られ、日本植民地時代には、ここに扶余神宮の本殿を造る予定で、ある程度の基礎工事は終わっていたそうです。



皐蘭寺
日本最初の海外留学生善信尼たちの壁画がある皐蘭寺。鞍作の司馬達等(くらつくりのしばたつと)の娘で、鳥(止利)仏師の叔母にあたる善信尼、奈良時代に日本から3人の女性(善信尼たち)が最初に百済にわたり、扶余の寺に仏教の勉強しに来ました。船に載っている信尼たちの絵が皐蘭寺の裏の壁画(絵には2人)に描かれています。三人の女性(善信尼たち)が1年半の修行で六法戒(式叉摩那の戒)と大戒(比丘・比丘尼の戒)を授し、日本に帰って桜井寺(のちの豊浦寺)に住んで、多くの尼を指導し、仏教の興隆に力をつくしました。皐蘭寺落花岩の下に位置しており、百済王愛飲の皐蘭薬水と、寺裏の岩壁に自生する皐蘭草が有名です。扶蘇山の北、白馬江との崖の中腹に位置して、百済時代の尼寺の址と言われています。現在の寺は高麗時代の創建と考えられています。寺の裏の崖には、わき水が出ていて、百済最後の王である義慈王が愛飲し、王は、ここから汲んだ水であることを証明するために、容器の中に、ここでしかとれない羊歯の葉を一枚浮かべるように命じたと言います。それが皐蘭草です。寺の名前もそこから来ています。



定林寺址5層石塔
寺は塔と本堂が一直線になる百済時代の寺の形式で、日本で言う「四天王寺」形式です。定林寺は都があったときの扶余の町の中心地にあった寺院で、6世紀中頃に創建されました。百済の滅亡とともに廃滅し、百済時代のものとしては、三尊仏立像や塑像仏が発見され、定林寺址博物館で見ることが出来ます。門を入いると右に方形の池があり、仏の国に入ります。定林寺址5層石塔と益山彌勒寺址石塔は百済に残る2つの石塔なので貴重でありも有名です。中央部が丸みをおびた木造建築のエンタシス技法が取り入れられています。塔の一層目には「大唐平百済国碑銘」と彫りつけられた文章がある。百済の滅亡を記念して唐側が彫ったもので、この文章があるために、「平済塔」とも呼ばれています。亡命百済人が多く生活していた日本の滋賀県の寺にもよく似た石塔が建っています。



法聖浦
現在の法聖浦という地名は仏法が聖に伝わった港口という意味で付けられた地名で、法聖浦はこのように仏教の縁が深い故障であり, 韓国の仏教文化史蹟や,精神文明史蹟に非常に由緒のある地元です。法聖浦は百済仏教伝来地で、インドの僧摩羅難陀(マラナンダ)がに山東半島から、黄海を渡って法聖浦の入江の畔に着き、仏教が百済に入って百五十年後、聖明王が日本に釈迦仏の金銅像一体と経綸を贈りました。。百済から瀬戸内海を経て、難波から大和川(初瀬川)を遡って定着しました。


摩羅難陀寺
百済仏教初渡来地として、インドの僧摩羅難陀(マラナンダ)が百済地に仏教を初めて伝えた所を記念して摩羅難陀(マラナンダ)寺を建てています。摩羅難陀(マラナンダ)はパキスタンのガンダーラ地方出身です。中国を経って仏教が伝わった高句麗と違い百済はパキスタンのガンダーラ地方の摩羅難陀(マラナンダ)を通じて直接仏教が伝われました。ガンダーラから全南光栄の法聖浦に至る行路期間は約 10余年の歳月に推正しています。今の法聖浦を百済時代には阿無浦(アムポ)と言いましたがこれは摩羅難陀(マラナンダ)が到着した時に胸の前に阿彌陀仏を奉じて仕えて来たので"阿彌陀"が→阿無浦(アムポ)になりました。摩羅難陀(マラナンダ)寺の内部には大勝仏教文化の本場であるガンダーラ地方の 2C - 5C 頃の仏典図の浮き彫り及び仏像珍品遺物を展示してガンダーラ仏教文化芸術の特徴的要素を直接観覧出来るような施設、外部の建物のガンダーラ地域の建築様式を見られます。



仏甲寺
法聖浦に着いたインドの僧摩羅難陀(マラナンダ)は、百済に初めて仏教の寺「仏甲寺」を開きました。この仏甲寺は曹渓宗となっている。百済が滅びて焼失し740年頃再建されたにもかかわらず、慶長の役の戦で70棟も焼失し、唯一残った東屋のみ現在も残されています。百済仏教最初の伽藍であるだけでなく歴史記録に残っている、現存最古の寺刹です。仏甲寺の大雄殿は 18世紀に建立された、1600年寺刹です。仏甲寺が建てられた地域の霊光という地名は宇宙法戒と億万生霊が本来から含んでいる悟りの光という意味で仏教名称です。

※法聖浦は特産物であるいしもちの干物を使った'いしもちの干物定食'の食べ物が有名です。



益山弥勒寺の塔
弥勒寺址は武王(在位600~641)の時代に建立された寺院、伽藍を三つ(3金堂、3つの塔)の院で構成するという独特の配置の百済時代の最大の伽藍で、百済の弥勒信仰の救心点でした。弥勒寺址の石塔は、弥勒寺の創建とともに建立されたもので、韓国の最高・最大の石塔です。西塔は、現在は六層の一部しか残っていないですが、発掘調査で出土した石材からみて、本来は九層の石塔であったと推定されています。現在東側以外の南・西・北の3面がセメントで補修されますが、今後の天災などで倒壊する危険性があり10年計画で解体・復元することになりました。東塔は残った石を使って九重復元されて、美しい姿をみられます。弥勒寺址の石塔は木塔をほぼ忠実に模倣したもので、石材を木材と同じように使っていた点で、百済初期は木造塔が大きく流行ったことと判断されます。百済人の影響を受けた日本の木造塔を見れば精巧な技術に驚歎します。西石塔の下のサル見たいな像は飛鳥の欽明天皇陵の下にあるものとよく似ています。弥勒寺の幢竿支柱は、2つの花崗岩を磨いて向かい合わせたもの、90m間隔で4m高さの柱を東西に2基建てています。幢竿支柱は、お寺の仏門を示す門表で、法会などがあるときに旗を掲げた竿を支える支柱です。

出発曜日

月 / 火 / 水 / 木 / 金 / 土 / 日


1日目 ソウル市内(宿泊ホテルへお迎え・出発→法聖浦→摩羅難陀寺→仏甲寺→益山弥勒寺の塔→ 定林寺址5層石塔→皐蘭寺→修德寺→瑞山の磨崖三尊仏→瑞山発、ソウルへ→ソウル市内(宿泊ホテル・明洞入り口にて解散)
*予定時間:06:00~20:00
旅行代金詳細・オプション詳細
ツアー料金に含まれるもの: 往復バス料金、日本語ガイド、観光地入場料、昼食代。

注意事項:
1.ツアー料金: 7名以上20,000、4~6名21,000、1~3名22,000
2.旅行代金 1人当り料金(大人・子供同額)
3.本ツアーは最少人数3名で、最終2名で出発になった場合は一人当たり¥7,000の追加料金がかかります。
4.本ツアーは他のお客様との混乗車ツアーとなります。
5.ツアー当日の予約・交通状況によりコース順が多少異なる場合もございます。
6.ツアー中の天災地変、個人的事故、紛失等につきましては弊社では責任を負いかねます。
7.歩きやすい靴でご参加ください。

キャンセル・返金について

ツアーキャンセル規定:

1.一週間前よりキャンセルチャージがかかります。(代金の30%) 2.前日キャンセルはツアー代金の50%
3.前日午後5時以降のキャンセル&無連絡はツアー代金の100%をお支払い頂きます。



所要時間
06:00~20:00
交通手段
バス
出発日時
6時「月 火 水 木 金 土 日」
主催会社
李’sファミリー(株)
集合場所
宿泊ホテル

一般ツアー
 3名以下 22,000 円 22,000 円
 4名以上 21,000 円 21,000 円
 7名以上 20,000 円 20,000 円
専用車貸切ツアー
0 円
0 円
0 円
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人数
大人 男 大人 女
小学生 幼兒
一般ツアー
* 専用車貸切ツアーご希望者はチェックして下さい。
合計金額



     
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