皇龍寺址 황룡사지

皇龍寺址 황룡사지
皇龍寺址
新羅三宝の中、九層木塔と金銅三尊丈六尊像の二つを保有していた最大の伽藍址”

新羅時代の最大、最古のお寺として伝えられている皇龍寺は、現在は雁鴨地から芬皇寺へ行く野原に礎石だけが残るのみ。今は残された石が寂しげです。でも、礎石を見るだけでも、その雄壮な規模が想像できます。皇龍寺は新羅第24代真興王14(553)に着工し、4代王、93年という長い歳月にかけて完工した皇龍寺は創建当時は東西288m、南北284mの8万平方メートルという広大な大伽藍でしたが、高麗高宗25(1238)の蒙古の侵略によって消失されるまで700年も続いた新羅最大の護国寺院です。真興王35(574)に鋳成された金銅三尊丈六尊像と善徳女王14(645/新羅27)に建立された九層木塔は、真平王の天賜玉帯と共に新羅三寶として知られています。
皇龍寺が建設されたのは553年。新羅の第24代国王、真興王の時代に建設が始まりました。当時の王宮である半月城から少し東に離れたところに、新しい宮殿を建てようとしていたところ突如として天から黄が現れました。それを聞いた真興王はただちに宮殿建設を中止し、寺院を作ることに変更したという話が残っています。国家的な規模の寺院建設となり、この後4代の王にまたがって建築作業がすすめられました。645年の九層木塔完成をもって皇龍寺も完工。その後600年間新羅最高の国家寺院として存在していました。
皇龍寺址の総面積は約20,000坪で東洋最大のお寺で、その最初は沼地を埋め立てて敷地にしたのが明らかにされました。かつて新羅三宝と讃えられた高さ80mの壮大な九層木塔は今は、その塔を支えた巨大な礎石が残るだけ、もし残っていたら世界でも類を見ない木造建築物になっていたはずです。伽藍の配置は日本の飛鳥寺によく似ています。
少し小高くなった場所に建物の基礎部をあらわす石が縦横に並べて埋められています。その中央にはごろんと大きな石が置かれており、この石が九層木塔を支えた心礎石になります。この上に巨大な九層の木塔が建てられていました。九層木塔が建てられたのは645年。新羅の第27代国王、善徳女王の時代です。
『三国遺事』によれば唐の国に留学に行った慈藏という僧侶が神のお告げを聞いて、善徳女王に九層木塔の建設を説いたといいます。善徳女王は百済より当時最高の工匠と言われた阿非知(アビジ)を呼び寄せ、2年間かけて九層木塔を完成させました。
現在はこの阿非知の記念碑が九層木塔の跡地のすぐそばに建てられています。
九層木塔には当時の新羅を取り囲む9つの外国から佛力で国を守るという信仰が込められています。
九層木塔の向かいには金堂(本堂)が建てられていました。この金堂には金銅三尊丈六像という
巨大な仏像が本尊として奉られていました。金堂に目をやると切り株のような石が並んでおり、この石が台座として仏像を支えていました。高さが一丈六尺にもなる巨大な釈迦如来三尊像の左右には十大弟子像、神将像2具が並べられていました。新羅時代の金銅三尊丈六像と率居が描いたという金堂壁画もここにあったといいます。皇龍寺はもともと一塔一金堂式伽藍配置でしたが、丈六尊像と木塔などが造成されてからは金堂の左右に小さな金堂を位置する一塔三金堂式伽藍配置に変わり、仏国寺の約8倍の広さで、皇龍寺址からは新羅時代から高麗時代までの瓦塼類、容器類、金属類など4万点の遺物が出土されました。

皇龍寺址はヨンジュンが執筆した書籍「韓国の美をたどる旅」にも紹介されました。


関連ツアー

     
HOME | 会社案内 | ログイン | 会員登録 | お問い合わせ
Copyright (c) Tabikr Communications. All rights reserved.