江陵烏竹軒 강릉 오죽헌

江陵烏竹軒 강릉 오죽헌

江陵烏竹軒
申師任堂は韓一の女流芸術家・賢母良妻で、栗谷李珥は朝鮮時代の大政治家
 
家の周りに竹が多く生えているので烏竹軒という名前がついているここは、申師任堂(15041551)が暮らしたところで、申師任堂の子息である栗谷李珥(朝鮮時代の大政治家)の生家です。
朝鮮(13921910)の11代目の王である中宗(15061544)の時の栗谷珥先生が1536(中宗31)建てられたもので、朝鮮時代上流住宅の別堂居間での中でも最も古い木造の建物にしています。
申師任堂は女流芸術家で良妻賢母の見本たる人物であり、彼女の息子こと栗谷李珥は朝鮮時代の退李滉(テゲイファン)と共に璧と並び証された者で、韓5千ウォン紙幣に描かれてあると人物がここの烏竹軒と栗谷李珥です。
烏竹軒は、1963年に
物第165に指定され、子孫が代管理しているところ。
烏竹軒に位置する江陵市立博物館は、江陵地域の先史時代の遺物など、さまざまな史的資料を所しています。

お勧めの見所
・栗谷記念館
栗谷記念館には聖
輯要(王としてを治める要目を記したもの)、硯(龍淵硯)、護松(栗谷が書いた孝思想の詩)、刺繍風、草虫など展示されています。             
・夢龍室
栗谷 李珥先生が生まれた所
で、竜の夢を見て産んだので、栗谷の幼名は現龍でした。韓の民間住宅としては最も古いもののひとつです。
文成祠
栗谷先生を祭った位牌・
肖像がある。扁額は朴正熙大統領の親筆です。
・自警門・四柱門(烏竹軒の入口)
・御製閣
定宗
12年の1788年に李珥の遺品である龍淵硯や1577年に李珥が問を始めたばかりに書いた本である蒙要訣を保管する建物。龍淵は栗谷が10才以前に使った硯で、つぼみがなく芽生えた梅の枝だけで、梅の花がを結ぶように一生懸命にべという意味から彫りまれものです。
・海棠花(さるすべり
600
余年の
寿命と推定しているさるすべりは花がいてる期間が100日間もあるということから百日紅とも呼ばれ、烏竹軒を守ってくれる守護木の役割を果たしています。

烏竹軒建築説明
正面3間、側面2間の八字模様の屋根、翼工(貫柱と直交して補を差しながら牛の舌模を彫刻した形体でチォ翼工とイ翼工があった)式の建築物です。長台石(四角くて長い石材で基壇に長くおいた石)基壇に自然石礎石を置いて、各柱の上に丸いトリ(補と直角方向でかけて垂木を差す水平嶺)を上げた屋根は重軒です。
建物正面の左側2間は井床(い板を短く切って差しんだ床)の間で、右側1間は裏側反間に側(部屋や床外に付けて構えたい床)があるオンドル部屋です。側面の障子の溝には重刊門柱(扉をんでつけるようにした柱)があった位置に溝があって古い家屋だったことを見せてくれます。
間の天井の上に井天井を仮設して他の部分は連騰天井にし、翼工の牛の舌(柱の上に付ける牛の舌のようにみえる飾り)と肘木(柱の頭の左右の飛び出した部分)の曲線は古い昔の技法に習っています。柱と柱の間にある花盤(蓮華、獅子などを描いた板彫刻)は主柱から翼工に移りわる過程をきちんとあらわしていて、屋根軒を高くあげて日照と通風をなめらかにさせています。

申師任堂について
申師任堂15041551)は賢くておとなしく、親孝行で操を守る性格で、韓
の母でした。幼い頃から文をえ、文章、針仕事、刺繍のみならず詩文、にも優れ、韓一の女流芸術家で、子女育にも特別な努力を傾け賢母良妻の見本たる人物でした。

栗谷李珥について
栗谷李珥(15361584)先生は、幼くして母親から問をび、13才で進士初試に合格、明宗19(1564)に生員試、式年文科に全て首席合格した後、海道の察使、大司憲などと吏曹刑曹兵曹の判書を任しました。
朝鮮の儒
界の退溪李滉先生と璧をなす大者として畿湖學派を形成し、朋党の調停、10万軍隊の養兵を主張し、大同法と社倉の施に努力し、文字やにも優れて親孝行でした。文廟に事し宣祖の廟庭に配享され、坡州の紫雲書院、江陵の松潭書院など20以上の書院に奉られています。

江陵烏竹軒はぺヨンジュンが執筆した書籍「韓国の美をたどる旅」にも紹介されました。



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