安東河回村 안동하회마을

安東河回村 안동하회마을

の町安東河回村
三面が洛東江に囲まれており、村の名前を水が回って流れるということから河回と呼ばれるようになった とのこと。
 
大儒学者として知られる柳雲竜(リュ・ウンヨン)や、文禄・慶長の役のとき領議政(現在の総理大臣)だった柳成竜(リュ・ソンヨン)を筆頭に、多くの偉人を輩出してきたため、朝鮮半島南部を代表する両班の村として位置づけられました。山と川に囲まれた地理的な条件から敵の侵入を一度も受けたことがなく、上流層の瓦家から民家の藁葺き家まで昔の姿をそのまま保存しています。
1.
朝鮮時代の儒教について
2.
朝鮮時代の身分について

養真堂(ヤンジンダン)

豊山柳氏の大宗家で、謙菴 柳雲龍の宗宅ながら、
河回村を代表する建物で、舍廊房(主人の居間)の高麗時代の様式と母屋の朝鮮時代初中期の様式が併せ持つ貴重な資料になっています。を養堂としたのは、謙菴の6代目の子孫である巖 柳仲泳が宗宅を大きく修理し謙菴亭とノンドンにある斎舎を補修して、一族の家系を完成した業績が大きいので、彼のを取って巖古とも呼ばれています。豊山柳氏の大宗家である養堂は、別棟、母屋、表門側の部屋、祠堂の空間で構成され、□形の平面の母屋に別棟が付け加えられた構成をして、堂とした姿のある大宗家の気性を見せてくれます。
元々99軒でしたが、現在は53軒残っています。

舍廊チェ(主人の居間)
基壇が非常に高いことは洪水を防ぐで、雄大で作られています。

舍廊チェの大庁()
大庁
() 6軒で, 非常に大きい規模で高い基壇とともに舍廊チェ(主人の居間)側面と裏には板門を造りました。

台所

母屋の左側に 3軒規模の台所があり、 2階構造で 1階は土の床で 2階は床を敷いた欄干を置いて空間を大きくし、配膳室を別に置きました。
母屋
大庁()
分閤(折って上にかけることができる門) をつけて通風がよくできるようにしながら,大きな空間活用が可能で、母屋と別棟を連結してくれる通路で, 母屋大庁で祭祀を執り行なったりしました。
母屋
基壇はたらめな石積みで、
舍廊チェの基壇はちゃんとした石積みの方式で出来ています。
祠堂
養真堂珍しくも 2軒の祠堂があり、大きい祠堂は正面 3軒、側面 2件の建物で立巌 柳仲零を仕えているし, 小さな祠堂は正面 2, 側面 1件の建物で謙菴 (柳雲竜先生を仕えています。
食客部屋と馬槽(馬の餌を入れる物)
入り口の中の右側による部屋たちは食客らがとどまる部屋で、左側には馬屋で現在も
馬槽(馬の餌を入れる物)が残っています。

忠孝堂(チュンヒョダン)

当時の総理大臣の
西厓 柳成龍の宗宅で、西厓先生は40年余りの官職生活を廉に終えて官職から退き、故に戻って生活し、豊山西薇洞の小さなわら葺の家で亡くなりました。子孫たちがこの建物を建てて、彼の問と業績をえました。忠孝堂としたのは、先生が普段子孫たちに調した、に忠誠し、親に孝行しなさい、という言葉から名付けられたものです。河回村を南村と北村で分ける時、忠孝堂は南村を代表する朝鮮中葉の典型的士大夫の家です。建築物の構成は、表門側の部屋、別棟、母屋、 祠堂で、全体52件になっており、宗宅のに西厓の遺物展示館である詠慕閣には柳成竜が文禄・慶長の役の反省を書き残した、懲毖錄(国宝414号)をはじめ、西涯先生の貴重な著書と遺品遺物が展示されています。的な点は、突き出た表門の脇の部屋が、通常の建物とは違い12軒の大きさで構えられていることです。外庭にはエリザベス女王の訪問の記念植樹が植えられています。
忠孝堂の現在の家主は
柳成竜から数えて14代目の子孫の方が暮らし、エリザベス女王が訪れ、お茶を飲まれたそうです。韓国はオンドル部屋で靴を脱いで入る構造に出来てますので、公式の場で靴を脱いだことがないエリザベス女王のために特別に作られた踏み台も必見!韓国始めでエリザベス女王が靴を脱いだ忠孝堂!

衛兵室
大門の入り口の
側には衛兵室と馬屋があり、入り口の外側には庫間があります。
舍廊チェ(主人の居間)
分閤(折って上にかけることができる門) をつけて通風がよくできるようにしながら,大きな空間活用が可能で、
舍廊チェ(主人の居間)と別棟を連結してくれます。廊チェ(主人の居間)基壇間知石(石垣を積むことに使う前が平たく四角模様の石)で高く積んで、長台石(踏み石の層階や築台に使う長く整えた石)で締め切りました。
基壇を高くしたことは洪水を防ぐためと建物の規模と調和を成すようにするためです。
大庁
(
)にかけた扁額
大庁には名筆家 眉数 許穆が柳成竜先生の忠孝思想を称えて, 篆書体で書いた忠孝堂の扁額
『勉爾子孫須愼 忠孝之外無事業』
勧めるのに子孫たちよ、これを必ず先に立たせなさい、忠孝の外にすべきことはないというのを
板門
家が西向きをしていて西向きの家の短所の午後に照り付ける日の光を阻むために板門を設置しました。
一角門
舍廊チェ(主人の居間)と母屋の間に一角門を建てて母屋の女性の空間が見えないように造られています。
母屋
母屋の高い柱は母屋屋敷の天井の上に屋根裏部屋(倉庫)を置くためです。
母屋の大庁
(
い板の間)
座敷の前には細箭つけ, 面と裏には板長門をつけ、部の明るさと安全性を考慮して造っています。
祠堂
中門・東夾門・西夾門の三門になっていて一般的に3門は公卿大夫の面倒を見た家で建てることができ,領議政)を過ごした西涯柳成竜先生を仕えているので3門を造っているのです。
詠慕閣
詠慕閣は
西涯柳成竜先生の遺物展示館で,文禄・慶長の役の反省を書き残した懲毖錄(国宝414号)をはじめ、柳成竜がはいていた30cm以上の大きい靴、宝物第160号と宝物第460号及び西涯先生筆帖、領議政敎旨、都體察使敎書、先祖親筆密符諭書、光国功臣西涯先生の貴重な遺品遺物が展示されています。詠慕閣と書かれた懸板は開館式の時に故朴正煕大統領が書いて送ったものです。

南村

元々99間の建物として河回村の南側の士大夫の家屋を代表しましたが, 1954年火事で消失し, 現在は大門間棟と別堂, 祠堂だけ残っています。母屋と
舍廊チェ(主人の居間)煙突を通路で連結して一つの大きい煙突で抜き出すほどに士大夫の家屋の中でもよく建てた建物です。別棟は接客空間として台所がない大きな大庁()になっています。

別棟の左側壁は瓦を利用して喜の字と寿の字を刻んで入れて飾っています。


北村宅(ブッチョンテッ)

1862年に建てられた北村宅は河回村の北側を代表する建物のひとつで、99軒家と呼ばれた朝鮮時代の典型的な士大夫の家です。家は全体的に“の字の模様で、門を高くし、多い倉庫を作っていて, 経済的余裕が多かったこととかなりの家柄だったことが伺えます。

外庭と中庭及び別棟と母屋の出入りする門が中門です。

北村宅の中門は中庭の方にななめに垣根を設置して中門を開いておいても中が見えないように気配りしました。韓流スターペ・ヨンジュンが旅行本の撮影の為、北村宅(ブッチョンテク)の和敬堂(ファギョンダン)に一泊しました。

藁葺きのトイレについて
厠だけを藁葺きにしたのは現在、この家は発展中で、まだ頂点にはたどり着いていない、今後も栄え続けてほしいという願いの現われで、瓦の家にわざと藁葺きのトイレを造っています。

澹然斎(リュ・シウォンの宗家)

澹然斎は朝鮮時代の儒家西涯 柳成龍(リュ・ソンリョン)生家であり、
13代目の子孫である韓流スターリュ・シウォンの生家として昌徳宮を修復した人間国宝の棟梁シン・ウンスさんが建築した伝統家屋です。
また、1999年4月に、韓国を訪問したイギリスのエリザベス女王が、73回目の誕生日に韓国伝統料理の食事の招待を受け、河回村の仮面劇も観覧して世界的にも話題となった所です。

高倉健と田中裕子主演映画『ほたる』の主人公の2人が故人の思い出を遺族と語るシーンが撮影され、
ドラマ『春のワルツ』ではダニエル・ヘニーの故郷の家、映画『YMCA野球団』の撮影場所として登場しています。

入り口門の壁の穴について
科挙の試験を受けるために南方からソウルまで旅を続けるソンビ(朝鮮時代の貴族=学者)たちが旅の途中で
お金がなくなって、困らないようにとの配慮し、お金を入れといた穴です。
子供の手では届かなく、ソンビ(朝鮮時代の貴族=学者)でない農夫の太い手は入らないような大きさの穴です!?

花樹堂

独立運動時にこの松の前に人々が集まって一緒に万歳運動をしました。

参神堂(サムシンダン)ケヤキ

安東河回村の中央に受領600年以上されたけやきがあり、風水地理上、村の穴にあたる所で, お正月、陰暦の115日に村安寧を祈る洞祭が行われます。また、 河回別神グッドの仮面劇踊りが一番先に行われた場所です。

主一齋

庭先に立ち入れば 舍廊チェ(主人の居間)が正面に見えて, 左側には小さな垣を積んでおきました。

これをと言って、母屋に入る門の前にを積むことで門を開けて置いても中が見えないようにできています。


河回柳時柱家屋(鵲泉古宅)

柳時柱家屋は現在の家主名をつけたことで、元々は鵲泉柳道観の号を使って「 鵲泉古
」と呼ばれて来ました。朝鮮中期に作ったことで推正し、 今は()字形の母屋だけ残っています。 舍廊チェから母屋につながる前庭に小さな土壁を置いてお客さんの泊まりと母屋の婦女子がでくわさないようにした点が特徴です。

河東古宅

河回村の東にあるという意味で河東古宅だと呼ばれています。

古宅
風山柳氏の
村派の宗宅であり, 祠堂には村 柳景深の位牌が祭られています。2位の烈女として 旌閭碑が村入口にあります。
志山書楼

山を眺めて門を置かないでむしろ庭園を広く置いたし, 舍廊チェ(主人の居間)と母屋の材木に松のほた(まつやにが多い松)を主に使った古宅です。右承旨を兼ねた大司諌 柳芝栄が読書に邁進した所で, 自号を取って 志山書楼にしました。

河庭齋

舍廊チェ(主人の居間)の床から芙蓉台と花川が見え、東に山を眺めているので, 吟風弄月の趣がある古宅です。

遠志精舎

遠志山を眺めているとして 遠志精舎 だと呼んだ. 正面 3, 側面 1間半分で, 大庁() 1間で部屋が 2間であることが特異です。 全面半分間は縁側を出しました。この亭子は朝鮮中期の亭子建築物として注目されています。

賓淵精舍

退渓先生の弟子で原州牧師を勤めた謙菴 雲龍(15391601)先生が書斎で使った家です。1583頃に作ったと言って, 芙蓉台絶壁の下深い所を賓淵と呼んだことから賓淵精舍になりました。

万松亭と芙蓉台の景観を鑑賞するために大庁()先方には門をつけませんでした。

1979 1 23日重要民俗資料第86号に指定されました。

謙菴精舍

1567年に謙菴 雲龍先生が学問研究と後進養成のために建立しました。寺小屋の役割をしたので, 普通亭子とは違い寺小屋役目をした建物配置の姿です。

“一”字形の外棟と“ 字形の母屋が一緒にある構造で, 母屋は外棟の裏側において亭子の景観を害しなく、母屋の横面と裏側には弓張月模様の垣根がかけられています。退渓李滉が書いた謙菴精懸板がかかっています。
エリザベス女王訪問記念館

イギリスのエリザベス2女王73(1999421)の誕生日祝いで安東を訪問した記念で、記念館を建てて、訪問際の写真、サイン、記念植樹、お誕生日の写真など展示しています。

芙蓉臺(プヨンデ)
洛東江の側にたつ
絶景の断崖絶壁芙蓉臺(プヨンデ)の丘から一望できるハウェマウルの美しさを鑑賞。


韓流スター リュ・シウォン

芸能人リュ・シウォンは柳成龍(当時の総理大臣)13代孫にあたります。

リュ・シウォンの安東河回村の中にある実家の澹然斎の外見を見学できます。

 

韓流スター ペ・ヨンジュン
ペ・ヨンジュンが旅行本の撮影の為、一泊した北村宅(ブッチョンテク)は?和敬堂(ファギョンダン)
ペ・ヨンジュンが旅行本の撮影の為、尋ねた600年前から安東の家々に伝わる伝統味噌作りは?
安東味噌村では?(ヨン様の味噌亀写真撮影&600年前から安東の家々に伝わる伝統味噌作りの説明を聞く)

安東豆知識

別神グッ仮面劇について 

「河回 別神グッ仮面舞」は12世紀中頃から河回村(ハウェマウル)を中心に伝承されてきた仮面踊りで、村の守り神(別神)を喜ばせ、村の安全と豊作を祈っていました。仮面をかぶって踊る姿は滑稽で、内容は貴族である両班や儒学者の風刺、庶民の辛い生活、仏教批判などで、合わせて10の仮面 が登場します。

安東の代表的なお土産は?安東焼酎、河回仮面


     
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