「韓国の美をたどる旅」の韓国各分野の代表的な匠人12人

「韓国の美をたどる旅」の韓国各分野の代表的な匠人12人

「韓国の美をたどる旅」の韓国各分野の代表的な匠人12

1. 無形文化財の陶芸家 陶泉 千漢鳳(チョン・ハンボン)
土と火の出会いで朝鮮茶碗を守る作家

千漢鳳先生は1933年に東京で生まれ、帰国後、慶尚北道聞慶にて16歳の時から、陶工の見習い入りをし、1972聞慶窯で高麗と朝鮮の伝統陶芸の本流を継承され、高麗茶碗の第一人者とされ、伝統陶芸の茶碗の脈を受け継いでいる韓国陶芸の名人です。
慶尚北道聞慶邑陳安里にある聞慶窯は千漢鳳先生の窯で、聞慶窯から製作されている数少ない茶器には昔の高麗・朝鮮王朝時代の趣や庶民層に愛され親しまれた飾りなき感覚と実用性が見事に再現されております。韓国陶芸の巨匠千漢鳳先生は平生を茶器製作に精進してきた"朝鮮の茶碗を守る作家"で知られています。韓国と日本等で300回が超える展示会を開催し、日本政府から文化勳章を受け、日本王室でも作品を所蔵しているほどに茶碗分野の世界的な権威を認められています。
参考に
1995年大韓民国陶芸名匠受賞、1995年大統領表賞受賞 、1997 Asia 最高の文化人物選定され「Asia’s who’s whoNHKに放映 されました。

2.韓服デザイナーイ・ヒョジェ
“独特のアイディアと手助けさえ加えば古いことも名品に変身”

三清洞に位置したショールームもなくて看板も掲げない小さくてきれいな韓屋ショップ「效斎」の韓服デザイナーで、お母さんがなさった仕事を受け継いで20年間の韓服を作りながらも着る物、食べる物、家構えるまで関心が高いです。ソウル真ん中にある韓服ショップですが、庭先いっぱい自然を入れて行き交う人々を楽しくさせるかと言えば1年始終智異山・海印寺・聞慶などを通いながら求めて来た各地で育った健康食材料で食べ物を作って隣りとともに分け合いながら親環境的生を暮しています。
独特のアイディアと手助けさえ加えば古いことも名品になり、ドラマ「王の女」と「英雄時代」の衣装も製作しました。またボジャギアートで文化界のラブコールを受けている彼女は化粧品の新商品ランチングショーに化粧品を
ボジャギで包むパフォーマンスなどで注目を引いています。また、韓国の伝統文化を紹介する本韓国の美を準備中のペ・ヨンジュンとともに韓国の衣・食・主を紹介する役目を引き受けて共同作業をしています。

韓服(ハンボク)について
“直線美と曲線美の調和、美しい韓国の伝統衣装”

韓服(ハンボク)は直線とゆるやかな曲線が調和を成した美しい韓国の伝統衣装です。

男性の韓服はチョゴリと呼ばれるゆったりした上着と、パジと呼ばれるズボンを身に着けます。

女性は短いチョゴリとチマと呼ばれる長いスカートを身に着け、端正で優美な衣装となっています。

礼服と普段着に分かれており、男女別・成人・子供用また季節ごとに分かれています。

現在はミョンジョル(元旦、端午、中秋)・結婚式の際に着られることが多くなっていますが、

最近は改良した韓服が作られて再び注目されています。

 

ポジャギについて
“韓服や麻の端切れを繋いで再生したもの”

ポジャギとは韓国伝統の‘パッチワーク’で、日本でも人気を集めているポジャギのほとんどは正確に言うと「チョガッポ」という韓服や麻の端切れを繋いで再生したものです。

一般的な用途としては食事の覆いとして使用されるサンボ(床褓:상보)、服を包むためのオッポ(衣褓:돗보)、そして寝具を包んでおくための大きなイブルポ(이불보)などがあります。

その他婚礼用・仏教儀式用もあります。

近年実用品を超えた観賞する芸術作品として再評価されています。


3.漆芸家全龍福(チョン・ヨンボク)
“漆は芸術と同時に科

漆文化は銅器時代までさかのぼります。高麗時代に入って漆は螺鈿漆器に使われながら本格的に光を揮し、朝鮮時代に至ってはもっと多な漆器製品が生産されたりしました。漆がこんなに人から認められながら展してたわけにはすべて漆を一製品での食べ物の腐敗や質速度がくて人体に有益な遠赤外線が放出されるわけもあるからだでしょう。
全龍福(チョン・ヨンボク)作家は27に初めて漆を接したが、彼は特有の漆技法を使いました。ほとんどの漆製品がい光ではなければならないという人の偏見をして彼は多な色の派手さを取り揃えて漆製品を生産しました。また螺鈿技法を使うことでたおやかな趣をえたりしました。
全龍福(チョン・ヨンボク)作家は漆に土を使うとか新聞紙などを利用して全然見られなかった新しい文を作り上げるなど常に新しい製作方式を究及び開するなど韓国固有の作品世界を現させたという評を受けています。そのためか彼の漆製品には統の趣と現代の趣が一に調和を成しました

30歳の時、昭和初期の“芸術の殿堂”と呼ばれた東京の目黒雅叙園で60年ほど使用しているという螺鈿(らでん)が見事なお膳の修復依頼をいただき、以後、目黒雅叙園の復元任務を引き受けるようになります。目黒雅叙園は1930年代の細川家門が作った大型宴会場で 2.6 haに至る敷地に壁、天井、底を漆作品5,000に及ぶ美術品があります。そこには'光信'という朝鮮の匠人の名前(朝鮮時代の螺鈿技法で見て推測)が刻まれていて天馬図と天使が雄大壮厳に描かれていて、同じ韓国の先祖の事が分かり、血が沸き立つ興奮を押えつけながら復元工事を引き受けて、韓国から連れてきた約300人の漆職人3年間にわたり復元修理、制作しました。
日本は「漆の国」で、外から受け入れた漆塗りを自身の国の文化として定着させています。地震の多い難しい自然環境の中で木造建築の保存のための塗料として使用された漆は今確実に伝承されてきました。
目黒雅叙園の作品を完璧に美しく仕上げるためには、デザインなど表面の問題だけにとらわれるのではなく、素材の深い理解と知識が必要だと考え、日本の伝統的な漆塗り技法や漆の性質など数えきれないほどの研究と実験を重ねました。

 

全龍福(チョン・ヨンボク)氏は岩手県に岩山漆芸美術館を開くようになる。この美術館には世界最大規模の漆作品‘岩手の魂’( 18m×縦 2.4m)を含めて300点ぐらい以上の漆作品が展示されている。またこちらで漆を学ぼうとする日本人たちを教えたりする。今まで彼から漆を学んだ日本人は 2400人余りもなる.

18年間 “漆は芸術と同時に科調してた彼は現在 800人余りの後たちを指導しています。彼は漆は一般化塗料より何百倍以上材料を長く保存させ、色の美しさはどんな何も敢えて比べるところがないといっています。また、ピアノや、バイオリン、チェロなどの繊細な弦楽器の創作にも挑戦し、その後も研究を重ね、独自の技法を編み出し、芸術性の高い時計の漆芸を創り上げています。

4.
茶文化研究家朴東春(バク・トンチュン)
“茶を作る過程が遂行で、茶湯にお釈迦様がいらっしゃる”
“茶は高品格文化で、肉体と精神を豊かにさせる芸術”

“茶は栽培地域とお茶炒め方法、水の種類、茶具によっても味と香が変わる不可思議な飲み物”

韓国の茶文化の中興祖(中始祖)である草衣禅師(17861866、朝鮮後期の大禅師として韓国の茶道を定立した方で、茶聖と呼ばれています。)茶脈を引きいだ応松(俗名朴英煕、18931990)を恩師として茶を接するようになってから20余年を ‘茶脈守り’で暮してた東アジア茶文化研究所所長朴東春氏

東春茶’だと呼ばれるこの茶は全南昇州松寺近くの野生茶畑で採ったの茶を直接、熱い火でお茶を炒めて水気を抜き取って作ったものです。‘東春茶’愛好家たちが ‘瀟灑(さわやかできれい), 淡泊ながらも気運が感じられる味’と評するこのお茶は普段にむ茶とは違い、熱いお湯を注いでむ‘熱湯’で、韓国の風土と, 体質にたる熱くてい味を好む韓国の人々に合うお茶だそうです。お湯でくて香ばしい気運を現わすお茶はこのような味の‘結晶体’です。

茶が持つ正性は行ではなく思想であり, 礼というのはその思想を習得して行けば自然に付いてるようになるそうです。の‘茶人’と言うのは修行者であり, 理論家で実践家にならなければ茶が持つ遂行自的な面貌が見られないそうです。 韓屋炊き口の18年も朴先生と呼吸を合わせて来た60代の村老は釜全体がすべて等しく温度になれるように, 竹を割って作った薪で纎細に火勢を調節したお茶炒めは茶の香と味を濃縮させる一方, 不愉快な澁くて苦みをとり除く一番重要な過程で、お茶を炒める適切な温度は1次お茶炒めは(攝氏350400)辛くて白い湯気があがって、2次お茶炒めは(攝氏150200)香ばしいにおいが広がります

攝氏5060度のお湯に飲む一般緑茶と違い、冷やして飲む日本式のお茶と違い、
東春茶’は攝氏9395度の‘熱湯’を使う伝統製茶法なので特別に注目されています。お茶を注ぐと糸くずのようなかさかさする毛がふわふわ浮かんで、漂う黄金色です。最初味は瀟灑(さわやかできれい), 淡泊し、お茶が喉に通る瞬間、清くて涼しいお茶の気運が全身に広がる感じがあるそうです。

“茶は栽培地域とお茶炒め方法、水の種類、茶具によっても味と香が変わる不可思議な飲み物”
1.お水
‘お茶は水の精神であり, 水はお茶の身だから, 真水ではなければその精神が現われないし, 清潔な茶でなければその身をうかがうことができない「(茶者水之神 水者茶之体非真水莫顯其神 非精茶莫窺其体)という言葉があるようにお茶を飲むにあって水は一番重要な要素の中一つだそうです。お茶に使う時の一番良いお茶の水は山でゆっくり流れて下る泉水です。
2.
茶具
茶器によって茶の色, , 味などが大きい差を見せます。緑茶は非醗酵茶なので、茶葉成分がそのまま維持される性質が強いので、保温力が強い茶具を使います。湯飲みの厚さが薄くて釉薬が均等で薄く塗られた物、高い温度(1250℃〜1300)で焼かれた物が良いです。湯飲みがお茶の味と味の気運を奪う物は良くなく、 低温に焼いた物、釉薬が厚く塗られた物、杯の色が濃い物は避けなければならないそうです。
3.
投茶(茶と水を茶具に入れること)
季節によって投茶(茶と水を茶具に入れること)方法が違うのは外部温度によって茶の味が変わるからです。
・上投:水を入れて茶をその上に入れる(夏にする方法)
・中投:水を半分入れてお茶を入れた後にまた、水を入れる(春と秋にする方法)
・下投:茶を先に入れて水を注ぐ(寒い冬にする方法)
4.
試飲
茶の量と抽出時間によって茶の水色、濃度が変わるので味が変わるのは言うまでもない。茶具の大きさによって違うが普通1人を基準で50ccの水にお茶2g (茶スプーンで1/2)を茶具に入れて時間は1分から2分ぐらい待つ、渋い味が強ければ抽出時間が長かった事で、苦みが強い場合は水の温度が高かったということを意味します。茶を抜いた後、予熱した湯飲みに2/3位、茶を注ぎ、ゆっくり一口ずつ吟味しながら飲みます。飲む時は息を鼻と口で同時に吸って口を閉じた状態で吐き出せばお茶の深い味を舌で感じることができます。良い茶の場合一口のお茶から苦み・甘口・酸味・辛い味・塩味の五味を同時に感じることができます。

“茶禅一味: 茶を作る過程が遂行で、茶湯にお釈迦様がいらっしゃる” と朴東春所長は言います。

“茶は高品格文化で、肉体と精神を豊かにさせる芸術”朴東春所長は禅茶に関する独歩的な存在です。

お茶と仏教を別々で考えられないことは参禅を重視した禅宗は遂行の一方便で昔から利用したからです。形式を抜いた地味な禅茶の茶風は新羅に流入された以後、韓国人の心性にも大きい影響を及ぼしました。
韓国社会に広く広がっている茶法はお茶中心ではなく礼法中心に主客が前途されました。

茶を製造する製茶法も同じで韓国の風土上、お茶の葉が薄いのに9回蒸して9回乾かすのは合わなく、茶は冷気の性分が多いので、これをさせるためには飲む時も熱湯に入れて飲まなければなりません。

5.
伝統酒研究家パク・ロクタム
酒はお酒をつける人の真心を飲む

伝統酒研究家パク・ロクタム氏は現在「韓国伝究所」の所長で、詩人と同時に統酒究者です。彼は朝鮮大校を卒業して, 高麗大校自然資源大院で食品加工攻しました。17年間、国内伝統酒、家釀酒にする現場調査と掘活動に念し、現在は統酒室を通じて消えた統酒再現と大衆化運動に心血を傾けています。
時間のある限り、一人で試してみたお酒が 400種が過ぎ、17年の少なくない歳月の間に数百種のお酒をつけるのを繰り返す過程で、誰よりも多くの失敗を通じて得た経験的要領と今まで私たちが分からなかった伝統酒の本当の味を見せようと努力しました。

パク・ロクタム氏は伝統酒に対する正義と農耕を始めてからお酒を造り始め、三国及び統一新羅時代、高麗・朝鮮時代・現在に至るまで多様なお酒の歴史、韓国伝統酒の伝統性、釀造するのに込められた多様性と季節性、薬理性は世界どの民族にも劣らなく、体質に当たる穀酒、多様な味と香、季節感と風流、健康を助ける薬酒を通じて証明しました。
お酒をつけるためには秋期に麹を造り、長い時間で醗酵・熟成させた後に材料を清潔に洗って水道水を沸かして貯めておいて用意した器と道具を酒甕いれて適正な温度を維持して熟成させます。若者達がよく感じる “一瞬に何か成す”と言う考えは捨てなければならなく、
酒はお酒をつける人の真心を飲むことだという心の姿勢が重要だそうです。

家釀酒と言う意味はそのまま家でつけたお酒を示します。
韓国は昔から家庭でお酒をつけて飲む風習があり、地方によって、家門(家柄)によって、またお酒をつける人の腕前によっていろいろの方法と技術を発揮した家釀酒たちが登場して味と香りを誇り、このような背景で郷土性を帯びた土俗酒が銘酒で登場し‘名家銘酒’という言葉ができました。
名家銘酒とは ‘有名な家においしいお酒がある’の意味です。有名な家とは士大夫と富裕層、勢道家たちを示すことで、これらの家にはお客さんたちの出入りが頻繁で、また内外のお客さん接待においてお酒の接待が礼と道理に認識されられて、各々の美酒を造り出してお客さん接待と祭祀などの家庭行事に利用して来ました。

家釀酒は何より伝統酒を造る時の材料の処理法を始じめ酒の味と香臭など伝統酒の特徴と先祖のすぐれた釀造法を土台に直接再現して見てその結果を土台で造ったそうです。

20
年の間、韓国固有のお酒である家釀酒研究のために全国津津浦浦を探し通って再現したバッ・クロックダム先生が釀造する方法を本で一つ一つ公開しました。醗酵剤で使われる麹作りから濁酒類と速成酒類、甘酒類、清酒類、加香酒類、焼酒、混養酒類など伝統銘酒のすべての部分を幅広く扱って紹介しています。
パク・ロクタム氏は淑やかな枝落としたが伝統与える醸造過程から釀造する人の心得が重要で、お酒は単純に飲み物だけでなく人間を重視する人間に対する敬虔な生の態度を持っているそうです。


6.
統天然染色家アン・ファジャ
“世の中でただ一つの色を作る芸術”、 “衣服を選んで着るということは健康を着る

統天然染色家アン・ファジャ氏は衣服を選んで着るということは健康を着るということだそうです。
現在は化
学纎維時代から天然維時代への化が加速化されています。
天然染色は言葉とおり自然の色を再現することなので、その原料を豊かに求めることができる所で、まともに、そして、思いきり表現することができるものです。もうちょっと美しい色を捜して全国をまわるのは勿論、天然染色が発達された世界各国を歩き回りながら研究する苦労を厭わなかった彼女は韓国で一番多い天然染料の植物を栽培して多様な染色材料を易しく求められる南道地方に定着しました。
先祖たちは季節が変わる度に新たに咲き始める草と花を染色原料にして季節に当たる色を造りました。 チォックプル()で空色を、松の皮で赤い色を、の根で濃い黄色を、鬱金の根で薄い黄色を、くちなし(で黄色を、柿・栗・きびで茶色系統の色を…、その他にも紅花・五倍子等々すべての自然で色素を抜いて使いました。この天然染色材料はまた、大部分漢方薬材料で使われて、防腐・防虫・防湿成分があって布を長く保存するだけでなく、天然食用色素でも活用しました。

世の中でただ一つの色を作るのは信念なしにはしにくい作業

もう、色んな化学染料たちが開発され、願う色をいくらでも易しく手に入れることができるこのごろに一つの色を出すために染料になる植物をいちいち栽培して色が出るまで多くの手助けと長い時間をかける過程はかなりの信念なしにはしにくい作業です。一例で藍色の場合は材料であるチォックプル()8月中旬の霧が立ちこめる早曉に切り取らなければとまともな色を得ることができません。次に大きいかめに小川の水でしっかり積み重ねて一週間を腐らせ、引き続き1800℃以上の釜火で焼いて碎いた貝パウダーをチォックプル()の腐った水に正確な割合で交ぜ、2時間ほど掻きまぜると染色の一番重要な兆候になる泡(花泡)が立つようになります。花泡が立った二日後に石灰が色素を含んで沈めば上に分離した水をこぼし出し、ここにチォックデ(草枝)と豆枝を焼いて作った灰汁を正確な割合で交ぜておき、二ヶ月の間たまに掻きまぜます。そうすれば、石灰とチォックムル()の色素が分離し、晴れた日にチォックムル()の色素に醸造酢を適当に交ぜて十回ほど、水を入れて乾かした後に流れる小川の水で不純物をとり除いてまた乾かせば韓国伝統の色である藍色が漂うようになります。

彼女は世の中でただ一つだけの色を得るために自然の中で過ごし、染料を採集し、またよく使う色の植物染料は畑に直接栽培しました。そして主にと明紬などにだけした天然染色を毛糸にまで適用する新しい試みも怠らないでした。
また、せっけんに良い植物性油と各種植物と薬剤、そして実などを入れて作った手作りの天然せっけん。
自分の染色ノーハウを適用させてきれいな色のせっけんを作る一方、ハーブと漢方薬を混合して各種疾患治癒效能といっしょに肌タイプ別に合う多様な天然せっけんを開発しました。

 

7.ファッションデザイナーイ・サンボン
“美しいハングル語でデザインするファッションデザイナー”

ファッションデザイナーイ・サンボン氏は“ハングルが美しくないことでなく美しく鎭火することができなかったことだけ“と主張しています。イ・サンボン氏のハングルファッションはハングルで作り出した文化商品の中で、一番成功したと認められています。彼が作ったハングルティーシャツはキム・ヨナ選手が着て、ハングルスカーフはイ・ミョンバク大統領がかけています。外国に出てショーをしなければならないので、韓国だけのものを捜すようになり、そうするうちにハングルで服をデザインするようになったそうです。使命感で始めたことではないのにますます使命感を感じるようになったそうです。彼はこのごろハングルと太極文様を結合する作業をよくします。太極柄の中にハングルを書き入れるとか、ハングルの上に太極文様を配置する式です。
イ・サンボン氏は
では演劇を攻し、アンドレキムの次の世代を代表するファッションデザイナーで、粋な国内派としてハングルやボジャギ、太極文など韓的素材をデザイン材料に使って有名です。職員 100余人の衣類社である'Lie sang bong'を運して 'Lie sang bong'と言うブランドで輸出もしています。最近には湯み、携電話、下着、たばこの外箱、具、 アパトなどのデザイン領域をげています。.彼はいつも後輩に'夢と熱情を持ったデザイナになりなさいと口癖のようにする言っているそうです。"



世宗大王&訓民正音について
百姓に教える正しい音の韓国語を作った朝鮮大王”

韓国へ旅行すると必ずお会いする方です!
韓国の紙幣の万ウォン札の中でうっすらと微笑を浮かべている方が、太宗王の三番目の息子として1397年に生まれて1418年に朝鮮王朝4番目の王となった『世宗大王』なのです。
朝鮮王朝27人の王の中で「大王」と呼ばれる王は世宗だけです。1418年から1450年の32年間在位し、朝鮮王朝の500年間はもちろん、新羅の民族統一以降、最も輝かしい治績を残しました。

世宗大王はハングル文字を創製し、測雨器、日時計・水時計・渾天儀(天文・天体観測器具)・暦書天文図製作等世界的に有名な科学器具を発明し、音楽の雅楽を整理し、北方の野人を征伐して四郡と六鎮を開設、国境線を鴨緑江・豆満江まで国土を拡張させ、集賢殿(王立研究機関)を設置し学問を奨励し、学者らを育ち、銅活字印刷術を開発し龍飛御天歌・月印千江之曲・農事直説など数多くの書籍を発刊し、農業を奨励、税制を整備し、儒教奨励、地図の製作など様々な分野で多くの功績を残しました。日本との関係は前の王、太宗の力が残っていたときには対馬を攻撃したが(応永の外寇1419年)、その後済浦、塩浦、富山浦の三浦を開港するなど、室町時代の日朝貿易の基礎を作った王です。

世宗大王は幼いころから学問を好み、様々な分野で多くの功績を残しましたが、その中 最大の治績の一つは、韓国固有の文字である『ハングル』、韓国の言葉の発明です。
それまでは韓国だけの言葉はなく、中国のように漢字を使っていました。 
しかし、一般庶民が漢字で表現することは非常に難しく、
庶民も自分の考えを文字で表記し、日常生活に便利に使用できるやさしい言葉が必要だと考えた世宗大王は様々な学者と共に「ハングル」を研究しました。
ハングルは音を出す「唇」や「舌」の
模様から考え出された文字で、1443年に28文字により完成させ、3年にわたり実用のための研究を重ねたのち、1446年に頒布しました。 
では「ハングル」とはどんなものでしょうか?
『ハングル』とは
「訓民正音」と言われ、これは「百姓に教える正しい音」という意味で、母音10、子音14、さらに複合母音11と、濃音5、これからの組み合わせからなっています。
日本語をローマ字であらわした時のように母音と子音とを組み合わせればいいだけですから、覚えてしまえばあとはパズルのように組み立てればいいだけ!
ただ、日本語にない発音がたくさんあるのが大変です・・・ 
文法は日本とほぼ同じ、さらにもともと中国語を使っていたときの名残での「漢字語」がありますので、発音が似ている単語もたくさんあります!
『韓国語は世界で一番難しい』という説もありますが、日本人にとってはとても学びやすい言語のひとつです!



8.方字鍮器(イ・ボンジュO-157も怖がる毒性をなくし、磨くほど輝く鍮器がある
方字鍮器は鍮器合金の一種として正確に78%22%た韓国特有の金属技法です。鋳物鍮器とは違い正確に合金された真鍮を火に焼いて叩くのを()を繰り返して薄く延ばして形態を整えて行く技法です。こんな技法で作られた方字鍮器は曲がるとか割れなく、比較的変色されないのみならず使うほどつやめく長所があります。方字の意味は叩く事を表し、大鍮器とも呼ばれています。
方字では
()方字に隠されたもう一つの神秘は現代金属学者たちが世界的な特許とほめたたえる金属技法です。方字はの合金である青銅製品で、現代金属工学ではの合金体からの割合を10%以上越さないように勧めています。の性質自体が割れやすいからこれを過ぎれば食器としての機能をすることができないということが通説です。しかし先祖たちは22%までまじた方字を使って来ました。現代科学は決して理解することができない方字のこのような神秘がみられます。
食欲をそそる、毒性をなくす、磨くほど輝く方字鍮器で先祖の知恵がみられます。
鍮器手入れも保管も気難しい伝統器ですが、 食品の農
成分を感知し、食中毒菌さえ撲滅し、食べ物を新鮮に保管します。実際に実験でO-157入れてみたら消えて見えなくなって鍮器が黒色に変わる事も見られたそうです。

9.紙匠チャン・セクォン
紙千年絹五百

張紙房(張紙匠家の紙を作る工房)
無形文化財 16号紙匠チャン・セクォンは4代目紙を作っていいます。
1
年ものの楮(こうぞ)の木を使い、天然の
灰汁(藁・豆・唐辛子・綿・藁などの材料で灰を作る)で作る陰陽紙(別個に漉いた2 枚の紙を張りつけて 1 枚にする)の伝統を守っています。
種類は青色を帯びた紙、赤黒い漆紙、二つの紙を行き違うように付けた陰陽紙、窓の模様紙などがあります。
751年の世界最古の印刷物である「陀羅尼経」を印刷した紙は陰陽紙(別個に漉いた2 枚の紙を張りつけて 1 枚にする)です。学界によれば釈迦塔で発見された新羅時代の木版印刷物の「無垢浄光大陀羅尼経」が陰陽紙で印刷され、紙千年絹五百紙は千年行って絹は五百年行くという言葉とおりだそうです。
昔の韓紙は規格が一定でなく、原料として高い楮を使用したため単価が高く、別個に漉いた2 枚の紙を張りつけて 1 枚にするという非経済的な漉き方で、大抵は家庭の副業として行われていたため漉き方の未熟さによる紙面の粗さも指摘されましたが、専門的に伝統を守ってきた紙匠らにより美しい韓紙に出会えるようになりました。

韓紙製作過程
楮の木の採取:1年ものの楮の木を使い、12月から3月の間に採取。
楮皮
:大きな釜に水を入れて10時間ほど楮を煮込んで皮をぎ取って乾燥させる。
よく煮込まれたら手で広げて薄い網のような
質が見られる
白い楮作り:乾燥した皮をまた水につけふやかして皮の中の
い成分を取り除いて楮を白くする
天然の
灰汁:天然の灰汁(藁・豆・唐辛子・綿・藁などの材料で灰を作る)で、7時間ほど煮む。
すすぎと天日干し:
後、水ですすぎ洗い、34日天日干す。
不純物掃い:天日干しの際に楮皮の不純物を手作業で除去。
叩きいれ:皮を石板の上にのせて
維を叩き潰す
韓紙漉き:
維がなくなった皮に水と柊の根から取れる糊成分を混ぜあわせ皮を連結させ、紙漉きで掬いながら紙を作る。
重石を使い水きをする。
乾燥:
1枚ずつ乾燥
紙を滑らかにする:紙を棒で叩いて
維の密度を高める。


10.青梅農園の梅濃縮液名人ホン・サンリ
“真心と愛で多くの人々が尋ねて来る梅を作る”

洪氏は嫁に来て68年から栗の木を梅に植え変えながら、多くの日々を涙ですごし、"手が草取り鎌とくわになり、川水も私の涙には多くないだろう"と言うくらい苦労しました。
何回もその所で逃げたかったのですが、3月になると咲き始める梅花は洪氏の労しさを治癒してくれ、洪氏は梅花が満開した山裾に根付くことに決心、真心と愛で多くの人々が尋ねて来る梅を作る決心をしました。大変に造った梅農場で、94年に梅のすぐれた效能を商品化してその名声を全国に知らせ、97年には政府指定名人(伝統食品名人14/食品1)になりました。そして洪氏の所望どおり青梅農場は一年に40万人がいらっしゃるほどの有名な梅園になりました。

梅濃縮液作り
梅濃縮液は砂糖を入れないで梅35kgを早い時間に洗い、種を取り去って汁を出し、72時間を弱火で炊いたら350gの濃縮液が出るそうです。これは薬で使うのです。梅:砂糖=11にすることは飲み物で飲む原液で使われています。


11
.宝城パンソリの名唱ユン・ジンチョル
“パンソリは音を盛った絵、絵のように開かれる音、魂の

現在、ユン・ジンチョル名唱は国楽芸術団団長で、全南大学校の国楽の兼任教授です。最近ペ・ヨンジュンに国楽と伝統文化に対して指導しました。

パンソリについて
パンソリとは、一人の歌い手が
鼓手(太鼓の奏者)伴奏に合わせて歌とせりふ、身振りで物語を語っていく統芸能です。パンソリのパンは多くの人々が集まる場所を意味し、ソリは音を意味します。
2003年にはユネスコの世界無形遺産にも登されました。韓『風の丘を越えて―西便制―』ではパンソリをんで旅をする女性が描かれています。パンソリを完唱するには短い演目でも2時間、長いものだとに8時間を要します。
パンソリは音、文、演劇など各ジャンルの芸術の特が溶けんだ合芸術で、「パンソリ」と呼ばれたのは60年代後半のことで、その前には 音(ソリ), 唱樂 (チァンアック),唱 (チァン), 唱劇の曲調 (チァンコクゾ)とも呼びました。パンソリは韓の全ということではなく、全州を含む南西部全羅道の音楽です。

パンソリの色んな言葉
・得音:腕前が非常にすぐれた境地に至り
・唱者:歌い手
鼓手:太鼓の奏者
・アニリ(言葉):パンソリの中で、唱をする間に調子を付けないで劇的な
況を明する形で進められる事。
・唱():パンソリの内容をオペラみたいに歌で表現。
・ノルムセ(身振り):手や足の動きを使って
な表情をリアルに表現。手に大きな扇子を持ち、これをぱっと開いたり閉じたり、振ったり指したりして調子をとる
・チュイムセ:パンソリで音の中間に添える嘆声として、
鼓手(太鼓の奏者)と観客が掛けを出し、興を高める。

パンソリの種類
・東便制:全羅道の東北地域で、男らしい感じで,音が雄しくて雄壯で, 歌に技巧がないことが特
・西便制:全羅道の西南地域で、女らしく,とても悲しい感じの歌で,たくさんの技巧を使うのが特
・中高制:京畿道と忠道に傳承された歌で,今は傳承が途切れてしまいました。
パンソリの發聲法
パンソリの發聲法は腹から音を出すのは西洋發聲法と同じですが、のどを使って少し荒くてさっぱりしない音を出し、鼻の鳴りよりは口と胸の鳴りにもっと精を出す点は違います。
パンソリの
韓國の文學的な要素と社會的な風習,文化及び諧謔的な容に率直で滑稽な人間觀と美意識が盛られた庶民の生活話になっている場合が多いです。

()
()の演奏はソンビ(善良で学識ある人)が徳を積むことに必須的な徳目の一つ
()は韓国固有の楽器の中で代表的な楽器で高句麗の時からあった楽器です。牙箏や大箏のように共鳴筒(サウンド・ボディー)を箱式で作ってその上に木綿糸を組んで作った六個の紐を結んで中の3行の下には 16個の卦を差します。右手の人差し指で紐を打ち下ろすとか取り離して音を出し、左手では16卦をついて音の高低を調節します。伽椰琴と西洋のハーフのように1行で一種類の高さの音だけ出す楽器と違い、()は紐の一部分をついてくれることで1行で多くの音を出すことができる楽器です。纎細な音を出す伽椰琴に比べて幅広くて雄大で壮厳な音色を持った()は昔から'楽器の最高'と言われ、()の演奏はソンビ(善良で学識ある人)が徳を積むことに必須的な徳目の一つでした。

12
韓屋建築家イ・サンヘ
“韓屋は科学的で、曲線の美が美しく、自然に逆らわない自然の一部ながら精神が豊かになる家”

韓国古建築に対する研究の深い建築家(現在、成均館大学建築科教授)で、伝統建築空間の美しさは建物と建物が作り出す空間にあるそうです。建物を山で、建物の間を谷で見れば私たちの伝統建築空間の固有した美しさが見えるそうです。韓国の建築は建物の外から中を見るのではなく、建物の中から外を見るように建てられていて、生活する人の視線で見るべきで、自然との調和で生きている建物です。

韓屋の最大の特徴
・風水を取り入れ、木や
土、土、石などの環境に優しい自然の素材を使って、自然に逆らわない構造と
 配置で家を建てます。
・韓
特な住居方式である暖房のためである「オンドル(床暖房)」と、韓屋の主要な素材となっている
 「
土」、冷房のための「床:テチョンマル(大庁:)」によって、春、夏、秋、冬の
 四季折
化に合わせ、度や湿度を調節することができます。
 オンドルの構造は台所と部屋の外に焚き口を作り、下で火を焚くと煙がオンドルの下を通りながら暖かく
 暖まります。大陸性気候と海洋性気候が共存する韓半島の暑さと寒さを同時に解決するための韓国の
 独特の住居形式です。
・屋根の裾が空に向かっている曲線の美、自然と調和した韓屋は全体的に曲線美が流れ芸術的で、各空間
 において四季折
の風景をしめる工夫も所でされています。

韓屋の構造
・サランバン(舍廊チェ:主人の居間で、書斎や応接間として使われた交流の空間)
・テチョンマル(大庁:
)
・マダン(庭)
台所
・母屋(ひったくらない家の主人奥様を含めた女性たちの空間で大門から一番内側に位置、家族たちの衣食住を専担する空間で家具類も衣服と寝具類保管のための収納用家具等が置かれた)
・祠堂(
先祖を迎える)
ヘンランチェ(召し使いたちが居住する)
・食客部屋とゴンノンバン(年寄りやお子さんが住む部屋)

韓屋の機能
・軒
軒は暑い日には太陽の光を阻んでくれて、雨降る日には雨が家の中に入って来ることを阻んでくれる役目をします。特に春・夏・秋・冬の四季によって太陽の位置が違って厚い夏は部屋に影がいっぱい入るように、寒い冬は部屋に太陽の光がいっぱい入るように、昼間の中でも朝・昼・夕方によって部屋に入る太陽の面積が違うように科学的に設計されています。
・基壇
韓屋を地面から1m程度はなれるようにし、夏に南西の方から吹いて来るじめじめした暑い風の地面から上って来る湿り気を阻んで、快適な生活をするようにしました。
・庭
韓屋はまた垣根中に大きい木を植えなく、庭先に芝生を植えませんでした。大きい木があれば家が陰気で虫も多くて衛生的にも心理的にも良くないからです。
家を明るくする方便で庭先に芝を植えなく、磨沙土を敷いて庭先に反射した陽光を室内に引き入れました。. すごく高級な間接照明方式です。たとえ直射日光が入って来ると言っても韓紙の部屋の門を透過しながら順化された柔らかい光が入ってきます。光のおびただしい照度差から来る視力の減退を阻むことができる知恵が韓屋にはあります。
・部屋の門と窓
綺麗な芸術性もあり、韓紙で作って空気がよく通れます。
・部屋の下紙
韓紙を敷いた後に豆油などを塗ってつややかにさせながら、防水の役目もしました。

韓屋の位置
北側(裏側)では山が阻んでくれて、南側(先方)では野原や小川が流れます。

気候と家屋の形態
気候は日常生活と密接な関連があり、雨がたくさん降る地域では屋根の傾斜が急で、乾燥した地域では傾斜が緩やかで、寒い地域では保温と防風のために壁を厚く、屋根を低くしてオンドルのような暖房施設を取り揃えた閉鎖的な家屋構造で、これに比べて暑くて雨の多い気候地域では通風のために開放的な家屋構造になっています。
・北部地方
寒い冬のために出来るだけ風が入らないように''の字の模様で家を建てて、壁を暑くし、窓を小さく造り、天井を低くしました。また、テチョン(大庁:
)がない家も多いです。
・中部地方
南部地方と北部地方の折衷型で、ハングル語の'
'の字の模様で家を建てました。
・南部地方
高温多湿な蒸し暑い夏の日を耐えるために風がよく通るように''の字の模様で家を建てて、、テチョン(大庁:
)が広く、窓も広い多いです。
・済州島
気温が年中穏やかなので暖房の必要性が少なく、穀食等を保管する倉庫役目をするゴパンイという珍しい空間があり、風が強いので藁葺き屋根の上に石を乗せて重石にしたりしました。
・鬱陵島
雪が多く降る地域なので、雪に備えてウデギという独特の家屋構造になって、くぬぎや松の木片などを利用して屋根を葺いたりもしました。


身分と家屋の形態
上流層住宅
屋根が造りの家がおおく、機能性と芸術性を考慮して作り、儒教思想の影響を受け、性別、年齢、身分により家の配置が違っています。子どもたちは生まれてからは母屋で生活し、7才くらいになると男の子はサランチェで、女の子はアンチェで生活します。
中・下流層住宅
萱葺きの屋根が代表的で、部屋、デチョン、台所という単純な造りをしています。


     
HOME | 会社案内 | ログイン | 会員登録 | お問い合わせ
Copyright (c) Tabikr Communications. All rights reserved.